2008-01-28 エリート株下落
_ エリート株下落
進学塾先導による一月入試は、年金問題同様、少子化社会への「勝負」をかけて苛烈に行われ続けている。
私は、すでに確定している2月初頭の各校入試問題を「予想」する必要がある。
上の方ではもうこれ以上難しくできない。やれても二百字作文をかませるくらいである。
あとは「変化球」。子どもの感受性と直結する筆記力を試すことになる。こんなことは対多数の塾教育ではまず無理だ。だから結局、国語はそんなに難しくならない。
選択肢の嫌がらせは結果的にセンター試験的バカを作る。海城、聖光、芝、渋幕あたりがこのことに気がついていないわけはない。一流校は、バランス感覚と柔軟性がある子どもをとりたいのである。合格が難し過ぎるトップ校は「変態集合」になりつつある。
ほとんどの子どもは勉強し過ぎると、器が小さくなるか「変態」になる。しかし、そんなところで陰で意外と勝利をものにしているのは、いわゆる「できるだけ塾に通わず受験に勝つ」子どもたちである。そしてそういった子は、実は別に私立に行かなくても公立でも充分である。世に出てリーダーになる前に、「世渡り」を知ることも大切である。本当の勝負は14歳以降だ。
世では、「バカの可能性」を心配するために、あらかじめ保険のために受験をする人たちが主流であることが顕現する。そして年齢的にまだ大人になり切らない若い母親を不安にさせることにより、塾「経営」が成り立つというわけである。もっとも、このレトリックが読み取れるのであれば、もっと塾に金を使うことをやめて、自立家庭学習の習慣を付けてキャンプや旅行に行くご家庭が増えるはずであるが、現実はそうならない。老人用のゲームを買い与えて平気である。ネットで出会い系サイトが隆盛する。
もうかつての「東大」のようなものを目指しても致し方ないのに、東大をヒエラルキーの頂点だと錯覚/確信する人たち。それは、個人権益を優先させて、全体利益を忘却する反グローバル反少子高齢化未来破滅的思考法に結びつく。他ならぬ東大法卒が官公庁より外国企業を選んでいるという現実。日本国内における地位学歴よりも、個人の可能性追求が優先されるという事実。
この世でたった一人の「いい女」を見つけられないならば、「東大卒」など何の意味もない。この世で、どうしてもこれがしたいということを見つけられなければ、いかなる社会的地位もナンセンスである。そして、グローヴァル化の流れの中で、すでに東大とかのブランドは、単なる「差別意識」の確認に過ぎないものになっている。我が国窮地を救うものに、東大卒が、諸手を振って「名乗り」を上げないのはいったいどうしてなのか。
世界的に株価は下がったが、特にどうして日本株がその中でも一番下がるのかの説明は禁句のようだ。諸外国には、実際接した、日本の「エリート」の多くが、自分のことしか考えない、他に自分の考えのないバカだと映るのである。ここまで教育の状態が悪いのに、「リーダー」たちが声を潜めるのである。国語リテラシーを悪化させることが明らかの、諸悪の根源のセンター試験に反対する教育学者やマスコミ人は一人もいない。これらは、「教育」よりも「政治」を優先することに忸怩たる思いのないものたちなのである。子どもたちの可能性は「無限大」なのに、自らの権益保守のために、自己反省と未来提言をしないものたち。キミたちには、子どもたちの「悲鳴」が聴こえないのか。
とは言うものの、実際の入試は、公立嫌いがいよいよ本格化して、国語漢字慣用句、社会理科重要語暗記を詰めたものが最低ラインで合格しやすいようだ。算数国語で冴えた得点ができるのも、脇を固める練習が満ちたものたちだろう。
さあもう泣いても笑っても残りあとわずかだ。月のWAVEで言うと、最後まで最大限の調整がないと、本年二月初頭の入試では実力を発揮し辛い。受験生は気力を充実して本年入試に挑んで欲しい。受かるも落ちるもそのとき次第よ。試験には、美しくやるココロが欲しい。そして勝っても負けても、昨日までと同様に明日がやって来る。