ブイネット教育相談事務所


2008-08-23 夏休み

_ 夏休み

もうそろそろ終わりそうだが、やっぱり夏休みは「例年通り」忙しかった。8月後半だけで、作文指導は10件を越えた。その間が音読指導の肉体労働であるから、最早禿頭に直射日光が当たる状態である。

「忙しい」と言うと、えてしてまだ体力のあるものは、「たくさん働けて実入りがあって良いでしょう」から「羨ましい」と取りがちだが、私のような単純時間労働にはそれは当たらない。むしろ、「執筆」の方が楽である。

教育をするものに最も必要なものは「エネルギー」である。多くの子どもを相手にすることは、多くの客を相手にする娼婦同様過酷である。むしろ、「可愛い」分だけ、「毒」が濃い。われわれは、「疲労」することなしでその仕事をすることはできない。もしそれを試みるならば、いっぺんで「人間以下」にされてしまう。しかも、驚くべきことに、そこにはそれを理解しないクライアントが当然含まれる。そして癒すことを仕事にする「娼婦」は、これに反論できない。

エネルギーに充満した子どもたちは、いまだ知らぬ経験不足により、相手がエネルギーを出すために自分と同様気合いが要らないと当然思っている。

時間給が「高」い私ですら「限界」を感じるのであるから、一般教師としては、少子化社会の手のかかる子どもの相手は、高給サラリーマン以上でなければ勤まるものではないのかもしれない。新入生の教育としてはあまりに酷なるものがある。とどのつまり、都市部では「不満」、地方では「満足」といった、「地域格差」の表象であるか。すべては、我が子可愛さのための親の「手抜き」と、それを「利用」することにした裏表の教育システムに問題があるのである。

どうして私たちは未来税制を担う家族を養うためにこれほどまでに疲れなければならないのであろう。

政治家が「名誉」を指向するなら、私は「アレテー」を命題にしたい。多く収入があるものが多くの税を納めることは当然のことであるが、その「むしり取り方」は、働く気持ちを減退させる。私は株を買わない。ゴールドも買わない。と、言うよりもそれを買う余裕はない。

ここをもって、私はあたかも逆転的に三波春夫的に読者に感謝するのである。考えるまでもなく、「大道芸」によって生活をひさぐものは、お客様同様、皆「神様」である。現在の私は、出版社の意向に沿ったリライターたちに囲まれた「センセイ」である。その私にとって、私が書いたものを直接読み続けているのは、ご存知、このブログの読者の皆さんである。「どぜう」も「クリトン」もヒラリーの夫も謎の人物である。そして、これらの間で相互に好奇心が起こるのは驚くべき「偶然」である。