2008-11-03 作文法
_ 作文法
私の作文指導メソッドは、抽象構成作文法と言って、紙の中央に書いたテーマについて、連想して思いつくことをその周りに書けるだけ書き、それを文章に再構成するといったやり方だが、これは、一音一音音読法やサイコロ学習法といった他の私のメソッドと同様にあまりに単純で、ある意味、コロンブスの卵、誰でも思いつきうることであり、「オリジナル」と自称するのはオカシイという指摘もあるが、どうしても勉強ができるようにならないタイプの生徒の指導などから私が編み出したものであることには間違いがない。詳しくは本にも書いたが、抽象画家のコラージュ制作とウイリアム=バロウズのカットアップを参考に、これを書けない子どもの作文法に応用したものである。
この夏も15本ほどの作文を手伝ったが、秋になってそのいくつかが認められて、学校文集に載せられたり、学校代表作となって県の教育委員会に認められて入賞するとか、中には、作文指導塾の雑誌広告の例に使われたたという「大笑い」のケースもあった。この他の生徒たちも学校でほめられたというものが多かった。「友達にはめちゃウケしたけど、学校先生には全く通じなかった」なんてのもあった。
作文が出来上がった時に生徒が心から嬉しそうな顔をするので、子どもたちの作文の宿題を片付けなければならないという重荷がいかに大きいものであるかを再確認したつもりであったが、今にして思うと、「良いのが書けた」という「手応え」だったのかもしれない。
子どもたちの中には、漢字をいっぱい知っていて国語の成績は良いのに作文はどうもという子もいる。どれも真面目な女の子であるが、指導の際に、私から作文の極意を聞くと、一瞬あたかもラミレスに一発打たれた岡本のようにポカンとした顔になる。
―文章は面白く書かねばならない。読んだ人が面白いものでなければ、わざと不味く作った料理のようにいただけない。同時に、紙の上には文字しか書けず、完全な事実のイメージ印象の伝達は実は不可能であるから、何でもできるだけオモロくなるように適当に書くことが大切だ。
文章は書けないが真面目な女の子たちは、そもそもコトバや漢字には詳しいことが多いから、それを使える歓びが増大して付け加わって、結果的に本人の味が出た良い作文が出来上がることが多い。それは何かが弾けた瞬間のようにも感じられる。我々大人は子どもたちの分別のない、まるでモーツァルトのような自在な感性に叶わない。男の子たちも負けず劣らずオモロい作文を書く。やっぱり男はそもそも目のつけどころが違う。しかし、オモロい作文は学校教師にはウケないのが「定番」である。AO入試同様、教師にはオンナがウケるのである。
大脳開発の究極原理、それは物語を初めとする、事実ではないことを適当に書いてしまうことである。これは、「文学的」結論ではなく、「哲学的」結論である。