ブイネット教育相談事務所


2008-11-08 主体的になること

_ 主体的になること

諸兄諸女史がこのブログを閲覧購読して下さることを誠に光栄に思う。しかし、先すでに知れた通り、私の実際は受験教育相談に学習指導、それと大衆の部分を対象化する出版稼業。そしてそれを、だらしないことに年中疲れてやっとこさでやっているという有様。その私がレベル低き文章の垂れ流しを続けていると言うのには、毎度いささか忸怩たる思いを禁じ得ない。また、この読者が、我ながら超不思議なことに、だんだん増えると言うから、最早「変化球」の投げようもない。

またこれにごくわずかにレスを加えるものたちは、記事への言及というより自己周辺考察報告に明け暮れる愉快な御仁ばかりと言うから、それも善し。「梁山泊」、誰がアクセスしているかはこれだけアクセス数が増えても書いている側にはてんで分らない。

もうやめるべきか、ホーホケキョ。

ご父兄が多いのかな、同業者が多いのかな、などと思うが、こんなふざけた文章を読んで下さるのは単なる日常生活暇つぶしの一部に過ぎないと潔く認識する。まあ、ウンコも下らないことながら毎日しなければならないことだから、「ウンコと同然」と言われると褒め言葉になりうるのが面白い。

主体的で居続けることはなかなか難しい。主体的で居続けるためには、休息のない好奇心と行動判断、鋭敏な感受性ととその心情表現が欠かせない。主体的で居続けることは疲れる。だからバッチリの睡眠時間が必要である。しかし、主体的で好奇心が強いために、眠る時間を忘れて活動してしまう。

いくら風呂に入っても抜き切れない。こうなって来ると、散歩しかない。

散歩をすると考えが良くまとまる。昼間の散歩は植物が気を満たすが、夜の散歩は自己想念を解放してくれる。

「沈黙から思想を、闇からヴィジョンを」と言ったのはバルザック大先達であるが、そのためにはパリ市街の深夜散歩が欠かせなかったことだろう。

主体的になるとき、人は「孤独」である。