ブイネット教育相談事務所


2009-01-07 タクシー殺人、ホームレス殺人

_ タクシー強盗殺人、ホームレス殺人

1日、2日に続けて、3、4、5日と、軽く8時間以上寝てしまう。6日でやっと正常の6時間に戻った。

しかし、これからは、約一月間、延々一日4〜5件をこなし続けなければならない。

出版予定は、ややずれ込んで、『公立で伸びる子は、ここが違う!』(青春出版社刊)が二月初頭、『成長力』(三笠書房)が二月末、『一人っ子を伸ばす親、壊す親』(アスコム)が3月初頭、その後、キャンプ本、遊び本、働くママ本‥…と9月まで毎月刊行の予定が詰まる。もちろん手中には多くの企画がある。

これではもう、教える仕事(特に音読!)と両立しなくなるのは時間の問題である。いずれ教育相談のみになる日も近いと思う。教育は、私のように忙しくて余裕のない人間がするべき職業ではない。これでは完全な指導ができない。私はもっと時間をとって、より充実した本を作るべきであると思われてしまう。

2月28日、奇しくも誕生日にホビット村で『超音読法』講演決定。5月中旬に「自然育児友の会」、5月末に「あなたと健康社」での講演も決まっている。

派遣労働者の解雇と犯罪が増加している。坂本哲志総務政務官が、東京・日比谷公園の「年越し派遣村」に集まった失業者らをめぐり、「本当に働こうとしている人か」と発言したことが問題になっているが、おそらくはエリートコースを歩んで来た勤勉者の彼からすれば、つい本音を口に出してしまったということなのだろう。自身の努力により、ニューリベラリズムに無意識的になるのはコワいことだと思う。

資本主義的市場原理社会の究極の「本音」が、「弱肉強食」であることは言わずと知れたことであろう。この場合、「強者」から見れば、「弱者」は、「先を見据えての努力の足りなかった人たち」と認識されるはずである。これはある意味で、「革命」を是認する思想で面白い。ニューリベラリズムには、他の多くの「思想」同様、意識的に捨象された事柄への「無意識」が内在するのである。つまり、「多くの人にはすぐには意識化されないことが前提として含まれる」のである。ここでややこの項を教育コンサルタントの経験から考察してみたい。

一部の例外を除いて、一応完全ホームレスの人たちのある部分が「まともに職に就く気がなくなってしまった人々」であることは先ず疑いがなかろう。「生活ができない」とは、収入がないだけではなく、蓄えも金を借りる知人もなかった人たちである。もしくは長期に仕事に就けなかった結果、蓄えがなくなった人たちであろう。健康を害する、仕事に精神的に耐えられないなど、さまざまな理由はあろう。しかし一般に、人間社会は、善良で不運な人にはそんなに冷たくない。もちろんある程度以上のコミュニケーション能力が前提ではあるが。

「派遣労働者」

彼らの多くは、家庭の事情により、公立学校で下3分の1以下になり、高校に通い続けることができなかった人たちである可能性が高い。普通真面目に努めれば、公立でさほどヒドい成績にはならないし、ある程度我慢すれば高校卒業資格を得ることは、現状の日本では誰にとってもそう難しくはないことだと思われる。またもし、「自分はどうも勉強に向いていない」と感じれば、学歴を用いる以外に収入が得られる職業選択も可能であろう。飲食店経営などはその代表と言えよう。また各種の職業的資格を得る道も良いだろう。この点「自由」主義はありがたいが、でももし、その人に社会的判断力が備わらない場合は、「自由」において、選択すべきことは、「生き甲斐」より「安楽」になってしまうことは読者もご実感の通りである。そして、もし、親がその状態であった場合、子どもはどうしたら良いというのであろう。

いかなる資格試験でも、多少の「学力」が必要なことは言うまでもない。少なくとも書かれていることが理解できなければ、試験の受けようがない。「リテラシー」である。通いつけの理髪店のご主人によると、「今は床屋にだって、最低高校卒業資格が要ります。そうしないと専門学校に入学できないからです。」だそうだ。つまり、高校を卒業しないと、資格を取るための専門学校にも行けないし、当然大学に行くこともできないことになる。

私は、教育コンサルタントとして、これまで何回高校中退希望者を説得して中退させなかったか数えれば切りのないほどである。またもしすでに中退していた場合、素早く大検をとらせるようにしてきた。

「高校中退」とは、「中卒扱い」ということである。この人たちは、そののち雇われた場合、信じられないほどつまらない、ロボットにでもやらせた方が良さそうな、でも今のところ人力の方が低コストの、超単純作業を、安い賃金でやらされることがほとんどである。つまり、奴隷中の「奴隷」の「境遇」になることが多い。そしてそうはならぬように踏ん張るのが、バイトで稼ぐ力がある「フリーター」であり、もしもそれもできず親が余裕がある場合、「引きこもり同然のもの」になると思う。

では、高校を中退する人たちとはどんな人たちであろうか。ここで一概にすべてを括って言うことはできない。「大別」することもできない。

しかし、教育コンサルタントは知る。本来健康であるのに高校中退するものたちには確かな共通点がある。

タクシー運転手は、「自身」の生活のためより「家族」の生活に働くものであろう。もちろん、若き日より目指してその職業に就いたとは到底考えられない。あくまで国家の「保護」より自ら働くことを選択した人たちである。

この人たちと仕事をクビになった若者が同車する。共産党と創価学会、非差別組織と共産党、阪神ファンと巨人ファン、ヤクルトファンと楽天ファン、自民党支持者と民主党支持者、過激派組織とカルト教団、苫米地英人と茂木健一郎、高級官僚と巨大新聞記者、前衛芸術家と大衆芸術家、直木賞と芥川賞、ユダヤ人とアラブ人、私は永遠にこれを続けられるが、立場的に近いものどうしが、自己差別化のためにいがみ合うことが多いことは、多くの人が意識化し辛いことだと思う。究極、男は女と張り合っても意味がないし、女が男と張り合っても意味がない。同様に、親が子供と張り合っても「意味」がない。

善い左翼人もいれば、善い右翼人もいる。善い日教組もいれば、善い文科省役人もいることだろう。 しかし、ここに「約束事」がある。周囲を気遣わぬワガママやキレ、自己統御のできぬ人、ある程度我慢して働くことができないもの、約束を守れないもの、自己の世界に囚われて他者の世界の空想に乏しいもの、こうしたものは、人に雇われることはできないということだ。

書き始めてみると長くなってしまった。

この項何回かの「連載」とすることとする。