2007-06-12 SEOUL紀行ー連載第9回
_ SEOUL紀行ー連載第9回
つまらぬことを書くうちに、ソさんのことを書き損ねた。
ソさんは、記者会見の今日はメガネをかけてこなかった。
メガネをかけない彼女は思いのほかチャーミングである。
彼女はうら若いチャーミングな女性である。
メガネをかけていない段階で見抜けない私が悪い。
彼女は、私に対するプレスインタビューが一段落すると、カメラに向かって、実に見事に早口で本の紹介をしている。
その様子からすれば「ぶっつけホンバン」ではなくて、充分に予行演習がされていることが伺える。
彼女は,私を招待し、より発行部数を伸ばすことを「仕事」にしているのである。
私は、ソさんが、この,「仕事をしている瞬間」に、最も魅力的だと感じた。
女の人は、仕事をしている瞬間と、そうではない時の状態において、異なった魅力を発すると思う。
一生懸命している女性には、賞賛と、なぜかマッサージをしてあげたくなる。
もちろん実際にそうすることはない。
マッサージとセックスは、その根底において共通であるが、やっぱりやや意味が違う。
ともに行動する相手の「コンディション」を思いやるとき、そこにある種の「絆」が生ずる。
性欲も,階級も、「思想」ですら関係がない。
主体的に前に進もうとするものたち。そのものたちに我々はマイナスの波動を送るべきではない。
なぜか?
それは,よりオモロいことが起こる可能性が高いからである。
「対向発生」の根本義は、オモロいことと感じることについてである。
このことから言えば、オモロいことと、感じることこそは、同等の次元にあるといえる。
敏感な女とオモロい男。
オモロさが分る女と敏感さが分る男。
「エロス」には両者が欠かせないと思う。
これらに意識的になることが、「深化」の本線なのであろう。
すると究極、フェミニストたちの言うように、「結婚」はナンセンスなのである。
「社会契約」と「セックス」のどちらが優先事項か?
それはやってみないと分らぬことなのである。