2007-06-22 SEOUL紀行ー連載第11回
_ SEOUL紀行ー連載第11回
携帯電話の世の中で、運転手付きというのは誠に具合が良い。入り口で車を降りると、車は勝手に駐車場に向かいそこで待機する。我々はどんどん目的地に近づく。運転手のリーさんは、30歳くらい。寡黙である。一見博打打ちに良くある痩せたタイプだが、時折見せる笑顔の表情から幼い子どもがいることが推察される。
同様に、通訳兼秘書付きというのもなかなかよろしい。入場券など買う困難がない。ソさんが切符を買いに行っている間に、もう一人のキムさんと田中さんと、どんどん興礼門へと歩く。1995年金泳三大統領の決定によって総督府の建物を壊して再建した興礼門前では、衛兵が並んでいた。この衛兵たちは、魔女のような黒い帽子をかぶり、ヒゲを蓄え、旗棒を突き、微動だにしないのである。韓国へ来てすぐ感じたことだが、この国の男たちには徴兵制から来る何かの匂いがつきまとう。
しかし、私が心魅かれるのは、左手方面から来る波動である。そしてその先には、ホテルの窓から見えた例の山がある。私はぐんぐんその山の方へ歩いた。何という強い波動だろう。日本のいかなる山で感じるものより強い。諏訪より強い。玉置より強い。いったいこれは何なのだ。麓は緑に覆われているが、山頂は黄色い禿げ山である。明らかに一つの鉱物からなる大きな岩の塊である。私は一度で了解した。なぜソウルがここにあるのか。どうして李成桂はここに宮殿を建てたのか。それはこの山の波動があるからである。英語で魂と同じ意味の都の名前が分る。奈良よりすごい。明らかにソウルは、この山への信仰によって成立した都なのである。田中さんに聞いてみる。「あなたはこの波動を感じるか?」。「いや残念ながら全然」。キムさんに聞いてみる。彼女も了解しない。どうして彼らはこれほど単純なことが分らないのだ。ソさんも分らない。日本と同様、多くの人がこの人間が当然持っているべき感覚を私と共有しないのだ。私は、山に魅かれて魅かれてしようがない。何としても近寄りたい思いを禁じ得ない。有名なのは宮殿背後の北岳山とのことである。いやいや、そちらもなかなかであるが、本当にすごいのは、西側の山である。その名を仁王山という。「あの山に行きたい。どうやったら行けるのか」。「後で運転手さんに聞いてみます。とりあえず、景福宮を見学しましょう」。
興礼門前には、中学生たちと思われる子どもたちが団体で押し寄せて来ていた。私はやや気が進まないが門をくぐった。私の好奇心はすでに他のところにあったのである。