2007-06-27 SEOUL紀行ー連載第14回
_ SEOUL紀行ー連載第14回
国民墓地は、ソウル南の漢江の対岸の丘にあった。入り口に厳めしい兵士の姿。運転手のリーさんは「イルソン見学」のようなことを言っている。どうも日本人でここを訪問するものは多くはないらしい。私は靖国問題を鑑みて、韓国では戦没者をどう祀っているのか見てみたいと思ったのである。
車を降りて、タナカさんと通訳女性二人と歩く。すごい!斜面のずっと上まで兵士の墓が整然と続く。米国アーリントンと似る。至る所にあるスピーカーから、粛然とした韓国語のナレーションとどこか美空ひばりの歌に似た音楽が流れる。
各墓には、埋葬年月日が記される。1950年代が多い。朝鮮戦争だ。1960年代も多い。ベトナム戦争と思われる。韓国では、復興のために多くの兵士が「輸出」され、戦没しているのである。この辺りは、憲法の違いで、軍隊を持たなかった日本との有り様の違いが見える。平和憲法では、兵士が死亡することは限られる。
それにしてもものすごい数である。意外なことに、ソさんもキムさんも、初めてここに来たと言う。ソさんに尋ねる。
「韓国には、祟りの思想がありますか?祟りとは、現在の私たちのために命を落とした人たちの呪いがあるという思想です。」
この答えは意外というか、当然であった。
「もちろんです。私は粛然とした気持ちになりました。」
またしても、韓国人と日本人は同じである。国のために死んだ人に申し訳なく思うのである。したがって、この思想習俗は、両国に共通の儒教思想にその源があると推察される。先祖を敬う発想が、戦没者に申し訳なく思う思想と結びつくのだ。
二人の韓国人女性は、露骨に暗い雰囲気になった。
中央に大きなレリーフの慰霊塔がある。命をかけて国家を守る男たちの姿の像である。
キムさんの解説では、主に警察関係者で命を落とした人たちのためのものであるとのことである。
さらに上に石でできた霊安室のようなものが見える。そこを指して登る。
兵士の墓の前では、遺族であると思われる人たちがお弁当を広げている。これも実に日本的な光景である。
霊安室には灯りが点り、お線香の台がある。ここには着いたばかりの人の遺骨がいったん納められるらしい。
お線香を捧げて手を合わせた。
さらに左手の丘にも墓地が広がるが、時間の関係で下を目指し、霊廟のような所に行き着く。
中に入ると、3センチ×15センチぐらいの名札が数限りなく果てしなく並べられている。いったいいくつあるのか分らないほどだ。その前には、多く写真や花が捧げられている。キムさんによると、遺骨が出なかった人たちの墓という。
駐車場に戻ると、バスがやって来て、中学生たちがだらだらと下りる。男子だけであるが、一目であまり勉強ができないタイプの子どもたちと知れる。勉強ができる子は景福宮で、出来ない子は脅かすために戦没者墓地なのかと思いニンマリするが、修学旅行では両方を見学することもあり得ると思った。そこへさらに、パトカーに先導されたバスが。中にはマスクをして遺骨を抱えた軍人たちが見える。この国では遺骨を持つ時は、マスクをしていないとヤバいという信仰があるらしい。今この瞬間も戦没者たちが運ばれてくるのだ。これに比べれば、我が派遣兵士たちの任務の平和なことよ。韓国の男たちは今も次々に死んでいるのである。この事実を看過してはならない。靖国には、新たに死んだ人たちが次々に祀られることはもうないのである。
夜の講演の準備のために、ホテル帰ることになった。私が分ったこと、それは、第2次大戦後、韓国の男たちの方がはるかにひどい目に遭っているのことである。このことの理解を前提に我々は態度を決定するべきである。