2008-05-07 気づかないこととダマされること
_ 気づかないこととダマされること
今様社会では「気づかない」段階でダマされていることになる。
全ては、そもそもの価値以上に高く売れば売るほど儲かることになっている。
「価値」があるのは、その仕事における能力のある者が誠意を込めて労働する場合であるが、その労働から「搾取」するのが組織団体である。病院等はその最高例であろう。
その仕事に対する基礎能力のないものを能力以下の低賃金で雇い、能力のあるものをその能力以下の標準賃金で雇うこと。そして、限りなく経費や原材料費を低く抑えること。そしてより多く売ろうとすること。
限りなく利潤を追求すれば、つまり、「合理」を追求すれば、必ずそういうことになろう。
我々は賃金を得て働いても、そのお金で消費行動をしてもダマされることになる。おまけに、昨今の汚職や癒着の状況を鑑みれば、どうも税金を納めることもダマされることに繋がるようである。
もし全くダマされないことを望むなら、お金の世界を離れて、ホームレスになれば良いが、そんなことはできない相談であろう。
お金の使い方に自覚的になる。
「面倒くさい」とか、「難しい」とかできるだけ思わない。そのくせ心の余裕を大切にする。
一般教育において、究極大切なのはダマされない言語コミュニケーションの能力と、算数暗算能力である。
気づかないことの善良さを許すことと、ダマされることの無自覚性を許すこと、こと教育においてだけはこのことをタブーとしたい。
教育とはそもそも不必要にダマされることを未然に防ぐためにある。
今重要なのは、組織内の地位よりも、フリーエージェントの素養である。
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