2008-05-16 モモちゃん
_ モモちゃん
ついにウズラハウスは完成した。あとはウズラとどぜふを求めるだけである。
一人旅のできない私は、この春以降、庭の大改造を「趣味」として来た。
暇さえあれば庭に降りて、大工作業とガーデニングをするのである。
今、与えられた猫額庭は、許される限り全て耕地となり、しかもバールを立てて、「二階建て」の畑も作った。
自分で発想し、自分で作る作業は、思いのほか精神衛生に良いようだ。おまけに、超ありがたいことに、私が焚火を趣味とすることを知った友人たちが、千葉、五日市、丹沢と、焚火の誘いを次々に持ちかける。嬉しいことこの上ない。
それにしても、次々に庭を改良していると思うことがある。
その一つに、亡くなった父親の次弟、つまり、私の叔父のことがある。彼は外国語に堪能で、極めて初期から運転免許を持っていた。そしてこの叔父は、庭を整備するのを趣味とし、池を作り魚を飼い、そして熱帯魚も鳥も飼っていた。同様の素養を持つものは親族で私だけである。
父の一周忌の会で、この叔父が抱腹絶倒の話をしてテーブル全員をひきつけた。
前からこの叔父は、「動物を飼うことの究極は、しゃべる動物を飼うことである」と言い、オウムを飼って来た。しかしどういうわけか外れっぱなしで、なかなか良く言葉を覚えるオウムを得ることができなかった。ついに大枚を叩いて、大きな真っ白なオウムを入手し、これに「モモちゃん」と名付けて、苦心惨憺、臥薪嘗胆、他のオウムが話さないようなユニークな言葉を覚えさせることに成功した。
その言葉は、「バイバーイ」と「ヤダヨー」である。
客人が来ると、オウムを披露して、これをしゃべらせると、客人が抱腹絶倒して喜んだ。叔父も大満足であった。
しかし、このオウムはさすがにアタマが良く、ある日、自ら掛け金を外して、空へ飛び立った。
そして、叔父の家の裏の桜林の上の方に立った。
下から叔父が懸命に話しかける。
「モモちゃん帰っておいで‥…」。
するとオウムは、「ヤダヨー」と言う。
さらに懇願すると、最後に、「バイバーイ」と言って飛び去ってしまった。
この叔父は、練馬区富士見台に在住しているが、後日、大泉に白いオウムを肩にとまらせる少年がいることを人づてに見知った。
叔父が出かけていくと、それは正真正銘のモモちゃんであった。しかし、周囲の人の話を聞くと、その少年は不登校の中学生であり、しかも、モモちゃんを鳥小屋に入れることも鎖で繋ぐこともせず、ただ肩にとまらせて町を歩いていることが分った。
しかも、モモちゃんは、「サンキュ」が口癖になっていると言うことも目の当たりにした。
叔父は、「負けた」と感じて、その少年にオウムをくれてやることにしたそうだ。
この叔父は推定年齢79歳であるが、極めて多趣味で、絵に描いたように「幸せ」な老後を送っている。それは、この叔父が何でも思いついたことを実行するからである。私は、親族に、「自慢症」と陰で呼ばれる叔父に、「似ている」と言われることを潔しとしないが、こうしてガーデニングに勤しむと、その心根が非常によく分かるのである。
植物にしろ動物にしろ、「育てる」ことは、他に換えることのできない楽しみである..
そのことを思い知った時、それを実践し続けた叔父に親しみを禁じ得ない。
叔父は私の庭を見たらいったい何と言うであろうか。