ブイネット教育相談事務所


2008-05-27 教育再生懇談会

_ 教育再生懇談会

首相直属の教育再生懇談会(安西慶応義塾塾長座長)が、文科省の予算を現状の全体国家予算の3,5%から5%に引き上げるように要請したが、財務省にはむべなく断られた。

そもそも安西氏は、大学への援助金を増やすことを目的にする人で、公教育の本質的な改善に関心を持つ人ではない。

筆者は、最初、不要な道路建設に何十兆円も投入する余裕があるなら、少しでも教育に回すべきだとの考えから、一瞬賛同しかけたが、実は、質の低下が疑われている大学教育への資金投入のためだと知ってがっかりした。ここには、自ら血を流す改善よりも、既存権益保全のためにまず資金を得ようとする文科省との思惑の一致がある。ろくな努力もしないうちに金だけ要求するのは、躾の悪い金持ちのバカ息子とやることが同じである。

大学の教師には、権威にあぐらをかき、学生のためになるような教育を真剣に考えているものが少ないことは明らかだ。研究者の給与が少ないことは明らかだが、その前に教育の質を上げようとする努力がもっと行われるべきだと私は考える。文科省が最早不要な権益法人をたくさん抱えることも周知の事実である。そしてマスコミは巧妙にそのことには触れない。

むしろ、教育再生はまさに底辺部からこそ行われるべきではないか。

現場の子どもたちは、システムやメソッドの古さに辟易しているのである。

教育においては、「機会均等」が合言葉であることを忘れてはなるまい。

再生懇の主張の要は、子どもに携帯電話をできるだけ持たせないことと、英語教育の初期導入である。英語教育に多額の資金を投入するなら、しっかりと読み書きができる教育に力を入れるべきだ。しかも、それならさほど資金も要らないはずである。

我々は、中教審、再生会議が、実は文科省の利権には巧妙に触れないような施策提言をする文科省主導の組織であったことはとうに気づいている。文科省が無駄な権益組織を整理するつもりがなくて、どうして教員の質の向上を唱うことなどできようか。英語教育の初期導入の陰には、本格的な国民リテラシーの向上を抑える目的があることを忘れてはなるまい。ゆとり教育でもそうだったが、文科省には、底辺部に、未来の低所得労働者を準備するために、どうしても日本語がよく分からないものを作る意図が、経済界と一体になってあるのだ。

再生懇は、学生バイトの賃金増加でも提言する方がよっぽど利口ではないのか。

民主党はグローバル社会化における「国家主権の委譲」などと馬鹿げたことを提言しているが、選挙に勝ちたければ、「どこへ行っても日本人はなかなかできる」という「国民全体のリテラシー向上」を掲げるべきであろう。日本語でしっかり考えることができないものが、小手先の英語力で世界に対応できることなぞあるわけがないのは明らかではないか。

携帯電話を槍玉に挙げるなら、その前に、拙劣なテレビ番組を見せないようにすることを主張するべきであろう。また、川島隆太の任天堂ロイヤリティー24億円の全額寄付に裏付けされるように、子どもへの害が明らかになったテレビゲームの禁止や親子や地域の対話が深まる焚火教育でも主張してみてはどうか。

以上当然のように「冗談」で書いた。