ブイネット教育相談事務所


2008-06-03 逝きし世の面影

_ 逝きし世の面影

以前にも書いたが、どんな本を出せば売れるのかは永遠に謎である。

これは、もし美しいものを作ろうとしてそれが可能ならば、それは「芸術」にはならないということと同じなのかもしれない。

扶桑社から出した『男の子を伸ばす母親はここが違う!』は、ここ数年、仕事上、母親の干渉があまりに強くてちんまりした男の子や勢い良く伸びることができない男の子が多くなっていることを危惧して著した。結果的に社会のニーズに合っていたことになる。しかし、同じ扶桑社から出した、そもそも私が最も語りたかったことを書いた『できるだけ塾に通わずに受験に勝つ方法』は版の重ね方が遅い。

では、子どもが自発的に勉強しないことに悩む親御さんに向けて書いた『子どもをヤル気にさせる親はここが違う!』(グラフ社)はどうか。

読んだ人たちからは、「今まで読んだ松永さんの本で最も面白かった」という声が多いが、売れ行きはすこぶる悪い。

遅れているが、今度扶桑社から出る日本語音読の決定版の本(アナウンサーのCD付き)はどうだろうか。また、三笠書房から出る『成長力』はどうだろうか。

今日本屋に行ったが、世間では、どうしたら今の自分を脱せるのかという問いに答える形の本が多く出ているようである。その答えは、トータルすると、「目標を設定して何でも良いから着手せよ」という分り切ったものである。

最近道行く人や電車の中の人や車の運転のしかたを見るとつくづく思う。世の人は主体的ではないくせに、自分以外の人を気遣う能力に著しく劣る。鈍感である。だから、それを肯定する『鈍感力』が売れるのか。人々の多くは、おそらくテレビの見過ぎと詰め込み教育で、価値判断能力を失い、自分から何かを発案してそのためのものを買うのではなく、市場に提示されるものを消費するだけになってしまっている。世では出来合い食品の花が咲く。ここには、「どうしても素通りできない」という感性が摩耗している。

人とすれ違うにも、右側通行が遵守されないから、常にこちらが避けることを考えねばならない。前からヘッドホンをして自転車に乗って来る若者には要注意である。車内で必要以上にメールばかりしている人を見れば最早人間には見えない。自分の前が詰まっていても右折車に道を譲らないから、両車線ともつっかえてしまう。おまけにウインカーを出さずに急に曲がる人の比率はいよいよ高い。店に入れば、マニュワル通りに受け答えをしても、こちらの要求を伝えれば、決まって「少々お待ち下さい」と奥に尋ねに入る。レストランでコップが空になってもこちらから頼まなければまず持って来ない。店員はと言えば、奥で談笑し続けている。オモロい夫を持っていることを全然評価しない我が家人は、自分の旦那がつまらないと嘆く人のことを、「だったら自分でどんどんオモロくなればいいじゃない。私なんて忙しくって、満足にマリンバの練習やパン作りができないことがストレスよ」とのたもう。一方で子どもの受験に熱心な親たちの多くは、「自分には趣味がない」と平気で口にする。

こう考えて来ると、どういう本が売れ線かやや見えて来るが、そんな本を出すことはオモロくなさそうである。

冗談で、『犬も歩けば棒に当たる』という本でも出そうか。

私が本屋で買った本は、『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)であるが、これを買うのは三回目である。