2008-06-10 アキハバラとイノカシラ
_ アキハバラとイノカシラ
秋葉原の殺傷事件を痛ましく思う。
こんなことで命を落とした人はやり切れないことだろう。
一人の人の生活と命をどうしてそこまで軽視できるのか。
会社の雇用状態への不満ならば本社社長を殺れば良かったのにと思ってしまう。
全く身勝手な理解不能の犯行であると思う。
だが、このような人が出るのは、この人の「環境」のせいでもある。
私は真宗の家で育ち、家族が、大きな罪を犯した人間のニュースを見るたびに、「そんなことをするなんて、なんて可哀想な人だ」というのを耳にして来た。
精神的におかしくなるような会社に勤めるような人生選択をせざるを得なかったのはなぜだろうか。
芸術表現を通じての心情表現の仕方を身につけさせなかったのは誰だろうか。
彼に暗黙の「刺激」を与え、そして明らかに「儲けた」メディアに「自己反省」はないのだろうか。
そしてまた、彼女もできない男に育ったのはどうしてだろうか。
誰よりもメディアと教育界にいる人間が自己責任を問わなければならないと思う。
ともあれ彼は多くの人が苦しみ悲しむことを目的の一つに犯行に及んだのだ。
てなことを思いつつ、自分は仕事の疲れを癒すために始めた朝のウズラハウスの世話をしていた。水質は改善されない。ゆえにまたしてもカルキの危険を冒して、水の大量取り替えを行い中和剤とバクテリアを入れる。ドジョウは一応元気そうである。ウズラはいよいよ元気で、放水すると喜ぶ。
と、登録のない携帯番号から着信。京都弁の主は、今春より同志社に進学した教え子である。秋葉原の事件で友達が犠牲者になったので、明日東京に会葬に行くが、私に会えるかとのこと。
会える時間と会えない時間がある。
それにしてもどうしようか。
西荻の淡水魚下ろし専門店は、「コイは酸化した水はダメ」と言う。鳥のクソがアンモニアによるアルカリ性であることを知らない。
昼飯がてら井の頭自然文化園に行く。
水族館でドジョウ発見。ついでにカエルの鳴き声に聞き惚れるご婦人観察。
事務室の前でノックしようとすると、偶然ドアが向こうから開いて、推定年齢45歳、ひげ面のがっちりして背の高いメガネ男が、若い女性助手を従えて、棒の先にぞうきんを縛り付けたものを手に長靴姿で現れる。つい、ひょっとしてこれはまたの世の自分の姿と思ってしまった。
彼の話によると、「ドジョウよりもコイの方がまし。フナでも同じかも。それよりオオカナダモをたくさん入れる方が効果的。井の頭の水は上から流すことによって鮮度を保っているが、それでも濁りを取ることには成功しない。カルキについては、武蔵野の水道水はカルキが控え目かもしれないが、ある時雨が異常に降ったときなど、化学成分が一気に出て魚が死ぬこともあるかも知れない。」
なるほど、動物が多い井の頭の池は上から流すしかないが、それでもコイは元気。カメもいる井の頭の池に比べれば家の池の問題はウズラの糞だけ。ドジョウがクソを喰い切ってくれれば良いのである。彼は、ギルが温度が上がると全滅するということは知らなかった。
どうするか、コイかフナを買うか、、それともこのまま観察してドジョウが死なないかどうか見るか。水の出口にカルキ吸い取り装置をつけて水を流しっぱなしにするか、それともウルトラC、浄化装置をつけるか、それとも底の水をくみ出すポンプを入手するか。
最後の2案は最終最後にしたい。
私は、稲を植えるというのも考えているが。
ともあれ、ヒゲ面は、活き活きとしてストレスなく働く公務員であり、表情には家族や子どもの存在が現象している。しかも動物を飼うのが好きだから愛情の深い人物だろう。
ここには秋葉原の青年の逆の人生があると思った。