2008-10-25 冗談考察
_ 冗談考察
言語を用いる文章家が、言語であり得ない世界を描き出そうとするとき、「真実」を知ることの対偶の「冗談」を「マジ」で受ける、という共同幻想確認のバランス行為が起こる。
言語は究極真理を伝えない。これは、「真理」である。
いかなる真理も、ひとたび人の手を経れば、「真理」となって、「起源」とは変容したあとのもの。
「愛しているよ」と言った瞬間、それは「以前のもの」になる。
パラドックスは、新たなるパラドックスを規定しようとしているのであるから、実は「パラドックス」ではない。
言語の微分。言語の積分。言語の行列。
このように認識上、「真理」が真理と異なることが前提とされる場合、我々は、狂気や覚醒した認識が周辺にある次元にあると言えよう。
性卑しからざらぬ証左ではなかろうが、同時対象が複数になった場合、私は美味しそうな方を選ぶ。
時には大失敗することもある。
しかしこれは、きっと他の人も同じであろう。
快感には天秤にかける何かがある。
そしてその基準は、個人内の状況によって可変的である。
しかし文章家は、その両者が同時に叶う設定を書いてしまうことができる。
コトバに移そうとする冗談は、実は善意が前提である。
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