2009-04-21 際
_ 際
出版関係の友人からこう言われた。
「同じような内容の本ばかり出していると、早晩和田秀樹氏同様、読者に飽きられますよ」。
私は答えた。
「それは、これから主張することになる本線の地ならしなのだ。まだ書き出しで、公的な発言権を得られていない際なのだととらえている。」
私には書きたいことが山とある。
しかし出版社はそれを許さず、彼らが「売れ線」と思ったものばかり出版させようとする。
利潤の確保が彼らの目的であるから、それはそれで当然のことだとも思う。オレだってブドウパンのブドウばっかりほじくって食べたことはある。
しかし、思うに、高学歴優秀者は本当に思考が柔軟でない。ドングリやドジョウやイケの他に、コロコロや「坊ちゃん」の「こんにちは」もなければ、一緒にハマって遊ぶことはなかなかさー大変な問題だろう。
だからむしろ、現在の路線が飽きられることの方が正しいのかもしれない。
しかし、私は確認した。世の中にはどうしても活字にならないことがあるのである。私以外の人も全く書かない。
さて世間には「際(きわ)」というものがございます。
昔中国に三つの際がございました。
一番上が、仁徳と気品この上ないが、人にダマされ利用されまくりのトレー際だ。
二番目が、オモロいことを思いついて何とかひときわ上を目指そうというスゲー際だ。
三つ目は、自分が何をやっているのか分らなくなって同じことを繰り返すヒデー際だ。
お後が大変よろしくないようで‥…
いやー読者諸兄姉、毎度このようなものにお目通しをいただいて誠に恐縮です。深く内省して感謝申し上げます。
以上、イケスのイケの「代作」でございました、なんちゃって冗談だってば。
外はザンザン降り。
_ イケのソラ 見つめ過ぎると ソラのソラ (冗兆)
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