2009-04-29 田舎に劣る都会人
_ 田舎に劣る都会人
皆様、時節柄、「薫風に乗って」とか言いますけれども、私ことイケズのイケ、南海の島に出向を命ぜられ、灼熱のアマテラスに照りつかれまして、あたかも乾上がり寸前の池でござりんす。Joker先生は、「大自然と同調しておまえのその都会変態習性をを修正して来い」と笑顔でおっしゃいましたが、何ごともなく、ただ季節だけが移ろい行くこの大自然そのものは、不肖都会の「悪の香」を知った若者にとって何たる退屈きわまることでしょうか。夜は暗くなった頃には皆寝静まっちまって、車で15分のコンビニすらも閉まっちまう。昼間目にするネエちゃんと言えば、「健康フルーツ」そのもの、畏れ多くて手の出しようがない、もし手を出すならば、即「この世行き」、村人に祝福されてこの島に末永くいつくことになっちまうことだろう。これから60年以上もか?「冗談じゃあない!」なんて、なんでこのオレ様が口にしなければならないのだ。先生は、「人生における悲劇とは総体としては喜劇と同じである」とおっしゃられたけれども、それならこちらも言わせてもらいますけれども、「人生における怒りとは、涙が流れていることには勝りません」、ウウッ(ブログでこういう音を伝えようとすると、まるで劇画の音読みたいですな)、アタマのおかしくなった都会の男には、都会の化粧まみれの不健康なバカ娘が必要だ。iポッドやり過ぎでアタマが溶けてアイスクリームみたいに鈍くなっていれば、お互い快楽だけ、なおさら何の責任もなくごく「自然」に楽しめる。ウズラのオスとオンナじよ。Joker先生、読者の皆様、どうかイケズのイケをイカせてイこうとお言い下さいイキなまし、と思いまして以下冗談で「代筆」します。もうこれで最後とわきまえての特攻隊的投稿です。
日経インタビューコラム『領空侵犯』で、ニッセイ基礎研究所経済調査部長の櫨(はじ)浩一さんという人の言説が紹介されている。経済企画庁出身で、07年から現職。専門は日本経済とある。東大院理系修士修了とのこと。
内容は、大学入学者の学力低下を抑えるために、センター試験を、科目選択性をとらず、広く浅く全教科型にするべきだというものである。「センター試験はいずれ、全国統一の高校卒業認定試験に衣替えすべきでしょう。」とも発言する。
私はなぜ教育の現状を知らない人がこの場で意見を求められているのか理解に苦しむ。ここまで来れば当然言及するべきはずのICU型教養入試にも触れない。この人も東大ネットで、次回の衆院選に立候補するのかと勘ぐってしまう。しかし、何かの他の理由がここに必ずある。それは、5面の左上ということからも明らかであろうと思われる。
「聞き手」の横山晋一郎氏は、日経東京社会部教育担当の編集委員で、写真判定はアウツだが、一応努力して教育の実情を追求するジャーナリストの一人である。ちなみに一橋経済学部卒。なんで社会学部でないのか、なんで文3でないのか。なぜそして教育関係担当記者なのか。ともあれこの人が日経の教育関係の記事を最終決定しているのである。下隅にあるコラム内「コラム」の「聞き手から」で書く。
「当初は、高校生の実態や大学入試の現状を承知の上での言説なのか戸惑った。だが話を聞くうちに、全入時代を迎え大学入試が選抜機能を失う中で、高校生や大学生の学力低下を懸念するがゆえの提案だと分った。」
苦しそうである。嫌々仕事でやらされている感じもする。
このコラムは総括すると、「瑣末的な暗記問題になりがちなセンター試験にはどうも害があるらしいから、これを学習到達度の試験に代える方が良い」ということになる。文科省天下り機関のセンター試験事務局が、漢検問題同様には圧力を受けないように注意した発言ともとれる。
政府だけではなく、経済界も、かなり我が国の未来教育についてバカなのに、今さらその自覚がないことを敢えて表明することの真意をはかっても致し方がない。かえって「知性」を自認しがちな日経読者が思いのほかバカ扱いされていることが分って面白いというものだ。
櫨氏は、末尾で、「受験勉強には弊害もありますが、私自身、こんな勉強は何の役に立つんだ、くだらないと思いながら必死に勉強したことが後になって役立っています」と語るが、分別を自己の好奇心に優先させて勉強したものが、現在の地位に就く以外に何の役に立ったのかは知ることはできない。
おまけに欄外の「もう一言」で、「若者にはもう少し勉強してもらわないと日本の将来が心配です」と言う。私はこのような無責任な発言を平気でする資格があると思い込む高学歴者が、文科省同様、我が国を悪くしていると確信するが。