2005-08-21 読書感想文
_ 例年のことであるが、夏休みは、学校宿題をかねての作文・感想文指導が多い。
読書感想文は、指定された本についての感想文が定番である。筆者のかねてからの見解からすれば、これは些かナンセンスである。
そもそも読書感想文は、よい本を読んで感動した時に、それを人に伝えるために書くべきものである。そのためには、自分で本を捜して読む必要性がある。ここには普段から自ら本を選び、それを読む習慣が欠かせない。つまり本を何冊も読んだ中で出逢った興味深い本についての報告が読書感想文であるはずである。
しかし、今の子供達にはそう多く本を読む習慣も時間もない。とくに受験を意識して猛勉強中のものにはなおさらである。また本人や御家庭がよい本を見つける能力もない場合が多い。だから、学校の先生方は、自分がそれなりに良いと思った本を指定して感想文を書かすことになる。しかしそれは、自分の感動した本についての読書感想文からは一段劣る。そして、学校が指定した本が生徒の関心や感動を呼ばないことも充分あり得る。
こうなった時。読書感想文は苦痛そのものとなる。学校は、いくつかの参考図書を掲げ、その中から選ぶか、本人が書店で選んだ本のどちらを選んでも良いようにするべきであるが、そうすると、感想文の対象になる本が多岐に渡り、感想文を読む側の教師の仕事が重くなる。また、もし指定図書がなければ、本来文章を書くことが苦痛でならない、本を読む習慣がない子供達は、「どんな本を読んだらいいかわからない」と文句を言う。
本来文章を書かせることが目的であるならば、「自由作文=エッセイ、あるいは小説執筆、ないしは自分の読んだ本で感動を与えた本についての感想文のどちらかについて書きなさい」とすべきである。
自ら本を選んで読む能力のないものは大学に行く資格がない、と言うのは筆者の日頃の主張であるが、そうなると、大学に行く資格があるものは、全体の10%を切ってしまう。
ここでは、生徒に本を読ませる斬新なシステムの構築が必要になる。