2005-09-02 ケシャヴァン・マスラク
_ 26日夜、初台のライブ・スポット、The Doorsで、USAフリージャズ界サックスのマスター、ケシャヴァン・マスラクを迎える日本最先端の個性たち,『ケシャヴァンの六角形』というライブを聴いた。
マスラクは、ジャズ・セッションの本質的意味を完全明瞭に了解した人物であって、どのような楽器とも交流の挨拶を交わせると確信した思想の持ち主である。日米文化交流をジャズセッションでこそ(それより、実はいつまでも聴いたこともない最先端の音楽と接して行きたいというココロから)、本質実現できると確信した遊び心。
驚いた。
先ずは、Kokooメンバーの一人、八木美知依の非常に刺激的でしかも纏まりもある、二十絃箏。もちろん美しい。広い弦面を自在に区切り(調音)、その上を人間の手はまるで影のように自由に舞い踊る。ワキ役の磯貝真紀(十七絃箏)も、単純な通奏低音を乗りながら繰返すアフリカンもおこんにちはの若い和奏で好い。
ここでマエストロ登場、右手にクラリネット左手がサキソフォン。象が鼻を上げ下げして前進するように大きな躯を絶えず前後に揺らしている。驚くべき演奏である。この男の伝えようとしているのはvoice=息なのである。これなら限りなく限定的な意味から遠いからどこの国にでも現象しうるはずだ。そして、息をしない人間はいない。懸命になって自分の気持を息で伝えるのである。これは音楽というより思想表現といった方が好いのかも知れない。言わば、親和力の実践指導である。
二本の絃箏にもう一本の尺八が加わると、中村明一率いるKokooになる。中村は尺八を立って吹く。するとまるで西洋楽器のようなリズム感のある楽器に変わる。しかも尺八の特徴である風が吹くような音色はそのまま残るから、ヒュ−ジョン系の電子楽器のような音がするのである。中村は作曲家だそうだが、驚くべきテクニックである。Kokooとは、和楽器独特の音色を伝統の縛りを解き放って自在に演奏し、ヒュ−ジョン、フリージャズを超えて現象する次世代音楽の構築を目指しておるらしいのだ。
ケシャヴァンも加わる。重ねて驚ろくベきことに、またしてもこの力強く我が道を行く尺八奏者と後手にならないで対峙する。音楽家としての協和を識るケシャヴァンは、つきづきしく譲るという徳性を合わせ持つ。私は座っては聴けなかった。
後半は、ピアニスト実はすべてピアノより話が下手のホッピー・神山。音楽だけでは退屈になったのか映像も準備。ここにもいました。山下洋輔の世代のやったことを吸収咀嚼して次の段階の音楽に挑むものが。かなり完璧な演奏であるが、味わっている暇を与えない。スキがない音楽なのである。ここへ大象登場。このセッションもすごかった。何で全然別の音楽が突然合体してお互いを高めあうのであろうか。私にはわからない。ただ目の前に事実があるだけである。ここにはホッピーの手を抜かぬ礼儀作法が強く貫かれていた。
次の古崎隆彦の津軽三味線もすごかった。フュージョンサックスは、民謡か演歌みたいなものを奏でているが、明らかに浄瑠璃の経験があると感じさせる何かがある。だが、津軽三味線のあたかも螺旋階段を繰返すようなヒタヒタという音は充分に自分を語ってなかなか次の奏者が付け込みにくい何か礼然としたものがあり、しかし、「打楽器奏者」が究極、発せざるを得ないものである、ハッ!との掛け声を待ったかのようにサックスが入るのである。この二人は二人とも美しい。自己の確実なる表現のなかで相手を気遣ってインプロビゼーションする。そしてそこにこそ、「親善の気品」の香が漂ったように思えた。諸君、音楽が分かるとはある意味こういうこともいうのだ。そしてこれを連続して現象させているのは、マエストロ!ミスタ−!ケシャバンその人である。彼の最も愛すべきところはいかなる時にも幼児的に巫山戯まわってみせる能力なのである。Oh,I like him, I love someone very like him.We arehappy before him!
これほどの音楽の上は、何もできない全てはもう終わらんとしている。しかしこのコンサートの構成を考えた者は、一種の超適当な抽象構成画家なのであるが、ここで半ば精力を出し切った求道者に、本日の最終バッターの「キリロラ」が降臨するのである。キリロラといえばコロコロである。彼女は神道ブランド・メッセージを放つ。「二つの鈴は、それぞれ天河と玉置山のものです」。なんちゅうことでしょうか。本日最後が、もしこの日本人ですらこれを拒めばその毒に中ってゲロを吐いて笑い転げるしかないお巫山戯魔女のフグのキモだったとは。
やがて歌い終えた天使たちは、まるでかぐや姫を連れ去った一行のように舞台を去る。
耳に残るのは、Whachoのパーカッションの極地を超えた瞑想感覚の映像である。
今日の最大の白眉はこれだったかも知れない。
一日の暮れの夢のなかでコロッサスがなおも歌う。
かあちゃん、こんなに遊んだら、後はご飯と夢見るだけ。
後はご飯と夢見るだけ。
私は、コロッサスの独奏の中にミレーの晩鐘を聴く。
私は滅多に出かけないが、最近東京ではこういった高レベルなライブがそこら中で行われているのであろうか。
いや、もちろん、そんなことがあるわけはない。
It was a lucky day
For me. Thank you.
2005-09-06 短編小説 『洗脳』
_ 子どもの母親が、父親と子どもが自分の目の届かないところで会話するのを好まないのは明らかだった。こういった疑念は、一般に複雑な遊び心からよりも、単純に他人も自分と似たようなことはしまいか、とういう心から生まれる可能性が高いのである。
ある時一見家庭内的には下品の極まりである父親は、純潔でナチュラルに上品この上ない父親を演じて子どもを載せてサウナに向かっていた。小学5年生。最近あまりにお互いの敬愛が薄い親たちの有り様を見て、自分の存在理由を考えることもあるようなのだ。
「お父さんは、お母さんをどう思っているの?」
予習済み。
「おかしな女。ところで、お母さんがお父さんのことをなんて言っているのか知っているかい?」
「知ってるよ。分けの分からない人物。イカれているって言ってるよ」
ふーむ、いかにもあの女が言いそうなことである。こうやって陰で子どもを自然に洗脳しようとしているわけなのである。
「お父さんは不倫とか考えないの?」
「ああ」
「どうして?」
予習済み。
「それは、女には一度で懲りているからだよ」
この応答に、相手はかなり参ったようである。しばらく沈黙した。しかしその沈黙は、信じられないような次の答えを得た。
「そうじゃあなくて、ホントは、ハゲでデブで見込みのない自分を発見しているだけなんじゃあないの」
儒教教育の遅れとしか言い様がないが、全てはあの女の播いた種である。その証拠に、私はそうまだハゲでもデブでもないのである。もっとも、生物学的には私の播いた種ではあるが。
得意の鼻笑いでかわそうとするが、相手はひるまない。こういう時は背後に決定的な情報があるものである。相手は子どもである。それに私は女性と違って恐怖を好奇に打ち勝たせることはできなかった。しゃべらせるという「間」の催眠術を用いた。
すると息子があたかも溜め息混じりにこう言った。
「お父さんは、お母さんが本当は何でお父さんと結婚したと言っているのか知っているの?」
私は前の信号に注意するふりをした。できればこのまま道路右ワキの寿司屋に車ごと突っ込んでしまいたかった。息子は黙っている。落ちついて、小声で尋ねた。
「何でだと彼女は報告しているのか」
「お母さんはね、お父さんがあまりに可哀相な人だと思って結婚して上げたんだって」
私はためらわずに車を交差点左角の八百屋に突っ込まさせる。
しかし、もしかそれが事実であれば、そのとき息子は言うであろう。
「ホラお母さんがまた可哀相になったね」
この子どもを作ることを提案したのは他ならぬ自分である。後悔してはならない自分があった。
だから、精一杯それに答えた。
「それじゃあお父さんとお母さんは同じだね」
2005-09-07 虚偽報道
_ 反省を口にするものに、敢えて苦言を加えることは潔しとはしない。しかしそれが、普段傲慢な言及を絵に書いたような新聞が、しかも社説のトップで急に行うとなると心中は穏やかでない。
朝日は、31日付の朝刊社説で、新党結成に向けて亀井静香氏と田中康夫氏が会ったとする取材メモでっちあげ事件について、「朝日新聞が問われている」として自己反省した。
そのレトリック、特に興味深いのでここにそのまま引く。
「これらの問題は一つひとつ性格も原因も違う。しかし、こうも続いて起ると、何か構造的な問題があるのではないかと感じざるをえない。
このくらいならという気のゆるみやおごり。社内外での競争がもたらす重圧や焦り。朝日新聞という伝統と看板がかえって組織の病を生んではいないか。
こうしたことにきちんと目を向けて、病弊を根本から取り除く。日々の取材や紙面づくりで地道に努力する。それしか読者の信頼を取り戻す道はない。
あらためて、そう誓いたい。」
この発言は痛ましい。これは朝日新聞が全くの虚業になっていることについての一種の敗北宣言である。
第一に、①このコラムの筆者はこのレトリックでやりきれると思っているか、このレベルのレトリックしか扱えないものを編集委員に据えざるを得ない新聞組織の限界を、まるでNHKやフジテレビと同様に「告白」しているかのどちらかである。
高学歴者に倫理観が伴わないことは、採用試験制度の欠陥である。このことは段差をつけてみれば教育組織の問題と同様である。
②「何か構造的な問題があるのではないのか」とは何事であろうか。これは書いてはいけないことである。これを書いても許されると判断するのなら、まだ完全に読者をバカにしていることになるからである。構造的な問題があることはかねてより明らかである。それがなんであるのかを認識しなければ反省文の意味がない。「気のゆるみ」と言うのなら、以後警察不祥事については語れなくなる。ジャーナリスムの良いところは、「正義」の視点を行使できるところだ。ここにおいてこそ、ジャーナリスムは、国家行政を凌ぐ。それが、「捏造」では、問題は構造的ではなくアタマが悪いということである。
③「朝日新聞という伝統と看板」、おまえらもNHKの職員と同じ意識なのか。「新聞」などというゴミ集めから始まった事業の良いところは、「伝統や看板」を隠すところではないのか。
④「地道に努力する」。こういう言葉は、金取って読ませる文章の書き手としては最低である。これを読ませたゆえに、「金を返せ」と言いたい。
21世紀において、新聞ジャーナリズムはついにその力を失おうとしている。単なる「報道」であったのなら、「怒り」をエネルギーにすることなぞできなかったはずだ。「怒り」があったからこそ報道せざるを得ないのではなかったか。このコラムには「反省」はあっても「怒り」がない。そんなものは我々は金を払って読まないことに気づかないのだから笑わせる。
ふざけるなって言うんだ。新聞報道が「作られたもの」であることぐらい、我々はとっくに了解済みである。お前たちが書くよりオレたちが書く方がずっとましだよ〜ん。
私は敢えて言うが、このことはセンター試験と深い関係がある。
2005-09-08 夏期講習
_ 夏も終わらんとしている。
8月後半は、作文作成と感想文作成の宿題相手の仕事で些か忙しかった。
この夏の特徴は、地方から上京して、2学期分の予習を済ませて帰るパターンの高校生が多かったことである。
V-netで、私のカウンセリングを受けて、国語古典の予習を終了させる。これが約5時間。数学が、5時間。英語も5時間。締めて15時間で2学期の落ちこぼれを事前に防ぐスタイル。
別にV-netがそのコースを設定したわけではない。クライアントの要求が濃かっただけである。しかし後で思った。これらの親御さんは非常に賢明である。
クラブや学校活動にいそしむ子ども。これはこれで成長中で頼もしい。しかし、高校での落ちこぼれは2学期に起る。何故かというと、2学期は奥が長く、いったん予習が後手に回ると冬休みまで逃げっぱなしの勉強法になり、しかもその冬休みはとかく行事が多く回復時間として充分ではない。それに内容もとかく発展的になる。
子どもの落ちこぼれは2学期に出る。しかし、もし、2学期分の主要教科の予習が終わっていれば、その心配は無用と化す。プロがやると15時間以内である。交通費宿泊費を入れると、約20万。私は自分の子どもの仮性近視の治療に50万かかることを思う。この措置を選ぶ親は賢明であり、子は幸運である。何となれば、教科が加速度的に進展し続ける高校学習においては、普通「落ちこぼれ」にリカヴァーがないからである。中学までとは違って、高校では、一度落ちこぼれると「終わり」なのである。
手前味噌にはなるが、運動部に学園祭の要職を兼ねる娘は完全にV-net方式である。
彼女は自宅学習時間がほぼゼロの状態で、2学期分の主要教科の予習は終了している。
誓っていうが、この子にはそれを自分で実行する能力はない。
落ちこぼれた後の「出費」が、落ちこぼれないようにするための「出費」を遥かに勝ることはいうまでもない。だから、実は、「夏期講習」が流行るのである。
2005-09-14 総選挙
_ 衆院議員選挙は、予想通り自民党の大勝に終わった。
そりゃそうである。
「改革するのかしないのか」と問われれば、誰だって改革する方を選ぶ。
民主党の「愚直」党首岡田は、本来は改革に賛成だった。しかし、岡田が愚かなのは、小沢一郎に相談したことだ。小沢は答える。
「与党が賛成ならば野党が反対なのは当り前だ。そうでなくてどうして議論が成り立つ。」
岡田はこれに従った。
これは最高に愚かな選択だった。
小沢は、これまで多くの政党を作り、これを失敗させて潰してきた失敗政治家である。つまり、大きな展望が持てない場当たり的な政治家なのである。自民党の幹事長時代にも都知事選戦略など失敗が多かった。どうして多くの人が小沢を有能と言うのか全くの疑問である。よほどの政治家人材難なのであろう
党首辞任に追い込まれた岡田は、心底悔やんでいることだろう。
小泉は自らの信ずる通りにやり、自分は小沢の言う通りにやった。そして大失敗である。自分の思いを曲げて失敗する。これはバカな男のすることである。悔やんでも悔やみ切れないであろう。宮沢同様、東大卒の「いい子」の末路であった。
人の人生の岐路には、真っ当そうな助言をするものが現れる。もしもそれをそのまま受け入れる時、天皇陛下万歳、結果として体験的に何も得られない自分を知る。自分の信念の正しさの実験をしない自分が残る。
岡田は、いくら泣いても泣き切れない。なにせ、小泉よりもはるかに愚かなことになるのだから。
もし、岡田が、郵政民営化に賛成して、その上で、その実現に向けての政策を語るのであれば何も問題なかった。しかし、彼はアタマが悪すぎた。靖国を訪問する男よりアタマが悪かった。岡田は政治家を辞めた方が良い。そうでなければ小泉の真似をして、チャーチルやサッチャーの言行録を、ワーグナーの『ワルキューレ』をBGMに、学ぶべきだった。
私の予想では、民主党は次の党首にまたしても愚直なものを選ぶために、旧社会党と同じ命運を辿る。
さて、小泉の声に賛成した我々は、岡田よりも利口だったか。
2005-09-15 バイオリン留学
_ 今夏熊野でお世話になったWさん御夫妻は、実にユニークな御夫婦だった。奥様は、とても活動的で、次々に思いついたことを確実に実行に移す。それを、柔軟で忍耐力のある御主人が、最良の智慧を絞ってアシストする。実に近未来型の御夫婦だ。
さらに興味深いのは、独自の教育観だ。
まだ気づいていない人もいるが、我々は公教育を利用しはするが、これを全面的に信頼してはならない。全ての教師がそうとは言えないが、ただ資格試験に通っただけの公務員の、自分の仕事に対する意識が衰えている風潮の中で、教職者とても例外ではないことは皆さんも良くご存知の通りである。
しかし、お子さんの状態が悪くなった時、場合によっては、その理由が学校にあることを親が喝破することは、苦しんでいるお子さんにとってなくてはならない助けとなる。一昔前なら、先生を疑うことなどありえないことだった。しかし、今は時代が違う。良く子どもの話を聞いて、「そりゃ先生の方が悪い」と親が断じてやる必要がある局面は無数にある。
Wさんのお子さんのK君は、極めて誠実で善良な人柄である。また、Wさんのお子さんであるからユニークである。その息子さんが小学校のとき登校拒否になった。そのきっかけは、学校の宿題で、秋の山の植物を採集して来ることが出された時であった。山といっても、入りなれていない子もいる。また、とかく収穫を待つ産物がある秋の山に勝手に入るのは、村の人に許されない場合がままある。K君は、クラスを代表して(クラスといっても12人)顔見知りの人の山に入って、授業に使えそうなものを集めてきた。ところが、これを知った先生は、「授業の邪魔をした」と言って、K君をヒステリックに罵倒した。この結果、その理不尽を受け入れられない純粋なK君は学校に行かないことにした。
Wさん御夫妻は、息子さんの正しさを信じ、自分達で勉強の面倒を見て地域トップの公立高へ進学させた。息子さんは楽しい高校生活に恵まれ、同時に幼い頃から学んできたバイオリンの腕をめきめき上げた。
そして高校三年。彼は、ピアノの名手の友人と二人でCDの自主製作を行った。このCDは、実に素晴らしいもので、聴く人全てをうっとりさせるものであった。V-netでは、この夏以降、事務所でこのCDを年中かけることになった。聴いた人の多くはダビングを申し出た。
私は、教育相談でVーnetを訪問する人たちにこのCDを聴かせ、そして語った。ーこの演奏者は今19歳である。彼はここまで素晴らしい演奏をするようになって、上には上がいることを強く認識した。しかし、バイオリンという楽器の音色の素晴らしさはどうしても捨てられないと思った。だから彼はイタリアへ渡った。今は、バイオリンを作る職人になるために修行中なんだよ。
2005-09-16 中学入試国語記述
_ 中学入試国語記述
_ 10月半ばに出版予定の『中学入試国語記述のコツのコツ』(主婦の友社)の執筆を、ようやく脱稿した。これは、灘、開成、筑駒、桜蔭、麻布、武蔵、東海、ラ・サール、久留米大附設などの、有名中学国語記述の必勝法を解説したもので、結構面白い読み物になっていると自負するところのものである。
これは、小生開発の「ダイアローグ法」と「抽象構成法」を縦横に駆使して、難関中学国語記述の解答が容易くできることを示したもので、多くの私立中学受験者にとって福音となるものである。
入学試験国語記述指導の専門家としての長年の経験を惜しむところなく解説させていただいた。
この本を執筆して、改めて思ったことだが、全ての入学試験が問うことの実態は、「日本語了解能力」である。そして、その力は、進学塾などの指導ではまずつかない。結果的に親の国語力の是非が問われる試験ということになる。
この本を読んで、国語力とはこういうことだったかと、是非多くの人に知ってもらいたいと強く願う。
2005-09-20 三文オペラ、浪花節
_ 自民党が圧勝しようが、民主党が惨敗しようが構わない。
私が呆れるのは、人々の言語アピールに対する無自覚さである。
だからこそ、テレビやCMに意味があるのであろうが。
森前首相が、解散を思いとどまらせるために首相官邸を訪問した後で、
「首相官邸には、カンビールとひなびたチーズしかない。小泉氏は、『殺されてもい
い』と言った。」
と、語ったのは、明らかに「談合」の上の「やらせ」であることは、多くの人が了解していることかと思っていたが、そうではなかった。報道したメディアも騙されていたらしいと知れると、なぜだかゲラゲラ笑いたくなる。
知り合いに、
「山崎ってのは本当に教養のないバカな人だな。彼は選挙区で、自分がいかに小泉氏と盟友関係であるのかを強調するために、『小泉氏が政策を錬る時には、ワーグナーの音楽を聴きながらやっていることを知っているのは私だけだ。』と語ったが、彼はそれがヒトラーと同じという意味であることを知らなかったらしい。せめてベートーベンの7番といって欲しかったな。」
と、言うと、
「あのね〜、今の日本にヒトラーとワーグナーの関係を知っている人なんてどれくらいいると思うの。そんな人は1%もいないよ。」と、返される始末。
織田信長と現代の世の中の政治と関係があるだろうか。あるわけがない。首相が織田信長を語ると、メディアはそれを元に議論を展開する。馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
我々は、聖書に書いてあることをすべて真に受けるブッシュ大統領の支持者と変わらない。一度完全に死んだ人間が生き返ると書くのは、信者を集めるためのレトリックに決まっている。どうしてそんなことは未だかってないと喝破しないのであろうか。
イスラム教徒もそうだが、社会全般的に国語力がなさ過ぎる。
「奇跡」なぞ存在しない。あるのは、「蒙昧」だけである。
2005-09-21 ドラゴン桜
_ ドラゴン桜と言うドラマやマンガが流行っているそうだ。私は、テレビを持たず、マンガを読まないので良く分からないが、見た人たちが、
「松永先生のメソッドや言っていることとそっくり。原作に協力しているんですか?」
と、言って来る。
答えは、「全く関係ない」である。
私の出版物を参考にしているかどうかは知らない。
事務所の先生に尋ねると、
「先生が10年前に言っていたメソッド。もうちょっと古いよね」
とのこと。
どうやら、『最低点法』や『国語了解能力』と言ったことが似ているらしい。
「真似されていたとしたら腹が立たないのですか?」
と、言う人もある。
もちろん全然腹が立たない。かえって愉快である。
シュルレアリスムの巨匠、サルヴァトール・ダリは、
「先生の贋作が出回っていますが、どう思われますか?」
という問に対して、
「わざわざ私のことを有名にしてくれるなんてありがたいことじゃあないか」
と、答えている。
誰でも入試必勝を画策すれば、「最低点法」に行き着く。
しかし、それも、もう次の世代に入っている。
だからこそ今、大衆に受けているのであろう。
2005-09-22 一九一九
_ 新聞広告を見て、また笑ってしまった。
ライブドア・パブリッシングから、『ふた桁の掛け算一九一九』という本が出たのだそうだ。
二桁同士の掛け算を語呂合わせで覚えれば算数ができるようになるとのことで、たとえば、12×13=156は、「ビキニの一茶でイチコロ」と覚えるのだそうだ。拙著『サイコロ学習法』(ワニブックス)では、12×12=144だから、それに12を足して156。それよか、「156の因数が12と13だと見た瞬間に分かるようにせよ」といっており、さらには「サイコロで遊ぶうちに自然に覚えよう」と言っているのだから、クダラナイ語呂合わせなどどうでもいいことである。19×15=285の覚え方は、「一休×五つ子はにバゴーン」となるそうで、もう可笑しくてしょうがない。私の本だと、19×15=20×15ー15=300ー15=285を映像的な暗算で済ます。そしてこの方がクソ暗記よりも遥かにアタマによい。『サイコロ学習法』は、10までの整数3つの掛け算も覚えようと提唱しているが、どうかこれも語呂合わせでやって欲しい。かなり苦しい、オカシなものになると期待できる。楽しみである。
音読法にしろ、暗算術にしろ、英文法にしろ、作文法にしろ、アタマが良くなる観点がないいいかげんなメソッドは私の敵ではないと強く思い上がった。先を行き過ぎてなかなか広まらないのは欠点であるが・・・・。
2005-09-25 東京大学大学説明会
_ 東京大学では、この度初めて学校説明会を開くことになったという。同時に作成した案内冊子によると、小宮山宏学長は、
「漠然と『成績がよい』から志望するのではなく、やりたいことを持って挑戦して下さい」と要望。また、「日本全国から学生が集まることを、非常に重視しています」と地方出身者を歓迎する考えを表明しているとのこと。
東大の最近の入学生の半分は、首都圏私立の6年生一貫校出身者。そんなことは東大合格者ランキングを見ても明らか。それどころか、地方からの東大合格者でも6年生私立一貫校の出身者がほとんど。これらが「優秀ではない」というのだから笑えるではないか。
すでに私は、東大の教授から、「最近の東大生は、全くというほど自分で卒論のテーマを決められない」と耳にしている。また、今回の朝日新聞の記事捏造問題も東大出身の政治部記者がやったこと。ということは、倫理観も低下していることになる。
生徒で東大に進学した人からも、首都圏の6年生私立の出身者にはできないものが多い、という話を聞いている。しかし、後期の論文試験で取ったものたちは優秀なものが固まっている、とのこと。この人たちは前期試験に落ちたから後期試験を受けている人たちであるはず。つまり、東大の前期試験が悪いのである。いや、それだけではない。諸悪の根源は、クソ暗記とレトリック解読だけのセンター試験なのである。この試験で高得点するには、中学から十二分な勉強時間が必要なはずである。クラブ活動もしない。交友関係も制限する。旅行やフィールドワークの時間もない。おまけに読書の時間も充分に取れない。こんな十代を送ったものがまともな好奇心を持つように育つわけがない。孔子だって、学に志したのは15を過ぎてからである。小学高学年から高給官僚を目指して進学塾に通ったものが健全な発達をすることは先ずありえないのは明らかではないか。東大は試験スタイルを変える以外に優秀な学生を集めることはできない。また、すでにこのスタイルでの試験が長期化しているということは、東大で指導者になっている人たちも充分に怪しいということになる。私は予言する。再来年度から東大は、小論文試験に移行する。また面接によるAOも開始する。
末尾ながら、東大が本当にアホなのは、説明会の会場を駿台に頼んだことである。駿台がアホなのではない。面倒臭いことはすべて丸投げする東大がアホなのである。東大自体にアイディアがないことの証左である。この考えが改まらないのであれば、東大も朝日やNHKと同様の組織ということになる。東大はもちろん、これらの組織は東大出身者で固められている。
2005-09-26 公立小校内暴力
_ 23日各紙は、公立小における校内暴力が増加、特に教師に対する暴力は83件増えて336件増えたと報道した。なぜ各紙が一斉に報道するかと言えば、文科省が、いつもの通り、インタビューをしづらい休日前を選んで発表したからであり、これは新聞が調査したものではないことが分かるのである。しかし新聞は、「文科省が発表した」とは書かないで「文科省によれば」というレトリックを使っている。
文科省の発表には常にメディアを意識した意図があり、新聞の報道にも主要読者である教師を意識した意図があるから、これを読み解くのは至難の技であろう。
案の定、「識者の意見」も学習ストレスなどを理由に掲げ、教師に責任の可能性が全くないようになっている。そしてここには、暴力を起こした子どもたちに対する裏づけの取材は一切ない。生徒たちに聞けば、「最近、教える力がないくせに簡単にキレたり、相変わらず成績を下げると圧力をかけたり、露骨な依怙贔屓をする先生が目立つから、小学生だって高学年になると暴れちゃうんじゃあないの。理不尽な先生が沢山いることも報道して欲しいよ」とのこと。
もちろん、家庭の事情などでどうしようもない子どももいる。しかし、そういった家庭がたった2年で急に増加するであろうか。
中学校で対教師暴力が減ったのは、先生方が気をつけるようになったからである。しかし相手が完全に子どもの小学校の密室内では、不適格な先生が横行している。
また、調査結果では、東京が43件に対してお隣の神奈川は318件、大阪が320件で兵庫が173件なのに、最も怪しい愛知は21件、長崎に至ってはたったの5件である。著しく増えたのは、神奈川と大阪と愛媛ぐらいで、他県は軒並み例年並みか減少である。紙上ではこれらについての分析は一切述べられなかった。不思議なことこの上ない。 そして、教師側からの報告はあっても、生徒側からの意見は全くない。なぜ生徒たちの教師に対する意見のアンケートは実施されないのか。
ここまで分析すれば、どういうことか分った気がする。
それに可笑しいのは、いじめが減っているために、学習ストレス論が通らない点だ。
いつも通りであれば、来週中に、文科省関係から、次の「洗脳レポート」が発表される。さてどうなるか。
2005-09-27 言語不良
_ 病癒えた友人からメール。
_ ー兎に角今は己を虚空にする事に徹するのみです。
_ ドーナツは 穴があるから ドーナツだ
_ 返し、
_ ー虚空にすることに徹するのも「執着」ではないか。
_ カステラに あんこをいれて 三笠山 (安藤奈津子)
_ すると、
_ ー貴兄は息子さんそっくりです。
_ ーおまえのいうことなんてゴミだ
_ ーふふん。お前なんて存在自体が回収不能の粗大ゴミさ
_ 小学生は恐い。これが遊びとして流行し、「論客」が次々に登場とのこと。
_ ーお前の未来は死だ
_ ーあったりまえよ。死んでも復活はイエス・キリスト、アルカイダ
_ どうも、彼らはすでに言葉は言葉にすぎないことを了解しているらしい。