2005-09-20 三文オペラ、浪花節
_ 自民党が圧勝しようが、民主党が惨敗しようが構わない。
私が呆れるのは、人々の言語アピールに対する無自覚さである。
だからこそ、テレビやCMに意味があるのであろうが。
森前首相が、解散を思いとどまらせるために首相官邸を訪問した後で、
「首相官邸には、カンビールとひなびたチーズしかない。小泉氏は、『殺されてもい
い』と言った。」
と、語ったのは、明らかに「談合」の上の「やらせ」であることは、多くの人が了解していることかと思っていたが、そうではなかった。報道したメディアも騙されていたらしいと知れると、なぜだかゲラゲラ笑いたくなる。
知り合いに、
「山崎ってのは本当に教養のないバカな人だな。彼は選挙区で、自分がいかに小泉氏と盟友関係であるのかを強調するために、『小泉氏が政策を錬る時には、ワーグナーの音楽を聴きながらやっていることを知っているのは私だけだ。』と語ったが、彼はそれがヒトラーと同じという意味であることを知らなかったらしい。せめてベートーベンの7番といって欲しかったな。」
と、言うと、
「あのね〜、今の日本にヒトラーとワーグナーの関係を知っている人なんてどれくらいいると思うの。そんな人は1%もいないよ。」と、返される始末。
織田信長と現代の世の中の政治と関係があるだろうか。あるわけがない。首相が織田信長を語ると、メディアはそれを元に議論を展開する。馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
我々は、聖書に書いてあることをすべて真に受けるブッシュ大統領の支持者と変わらない。一度完全に死んだ人間が生き返ると書くのは、信者を集めるためのレトリックに決まっている。どうしてそんなことは未だかってないと喝破しないのであろうか。
イスラム教徒もそうだが、社会全般的に国語力がなさ過ぎる。
「奇跡」なぞ存在しない。あるのは、「蒙昧」だけである。