ブイネット教育相談事務所


2005-09-02  ケシャヴァン・マスラク

_ 26日夜、初台のライブ・スポット、The Doorsで、USAフリージャズ界サックスのマスター、ケシャヴァン・マスラクを迎える日本最先端の個性たち,『ケシャヴァンの六角形』というライブを聴いた。

マスラクは、ジャズ・セッションの本質的意味を完全明瞭に了解した人物であって、どのような楽器とも交流の挨拶を交わせると確信した思想の持ち主である。日米文化交流をジャズセッションでこそ(それより、実はいつまでも聴いたこともない最先端の音楽と接して行きたいというココロから)、本質実現できると確信した遊び心。

驚いた。

先ずは、Kokooメンバーの一人、八木美知依の非常に刺激的でしかも纏まりもある、二十絃箏。もちろん美しい。広い弦面を自在に区切り(調音)、その上を人間の手はまるで影のように自由に舞い踊る。ワキ役の磯貝真紀(十七絃箏)も、単純な通奏低音を乗りながら繰返すアフリカンもおこんにちはの若い和奏で好い。

ここでマエストロ登場、右手にクラリネット左手がサキソフォン。象が鼻を上げ下げして前進するように大きな躯を絶えず前後に揺らしている。驚くべき演奏である。この男の伝えようとしているのはvoice=息なのである。これなら限りなく限定的な意味から遠いからどこの国にでも現象しうるはずだ。そして、息をしない人間はいない。懸命になって自分の気持を息で伝えるのである。これは音楽というより思想表現といった方が好いのかも知れない。言わば、親和力の実践指導である。

二本の絃箏にもう一本の尺八が加わると、中村明一率いるKokooになる。中村は尺八を立って吹く。するとまるで西洋楽器のようなリズム感のある楽器に変わる。しかも尺八の特徴である風が吹くような音色はそのまま残るから、ヒュ−ジョン系の電子楽器のような音がするのである。中村は作曲家だそうだが、驚くべきテクニックである。Kokooとは、和楽器独特の音色を伝統の縛りを解き放って自在に演奏し、ヒュ−ジョン、フリージャズを超えて現象する次世代音楽の構築を目指しておるらしいのだ。

ケシャヴァンも加わる。重ねて驚ろくベきことに、またしてもこの力強く我が道を行く尺八奏者と後手にならないで対峙する。音楽家としての協和を識るケシャヴァンは、つきづきしく譲るという徳性を合わせ持つ。私は座っては聴けなかった。

後半は、ピアニスト実はすべてピアノより話が下手のホッピー・神山。音楽だけでは退屈になったのか映像も準備。ここにもいました。山下洋輔の世代のやったことを吸収咀嚼して次の段階の音楽に挑むものが。かなり完璧な演奏であるが、味わっている暇を与えない。スキがない音楽なのである。ここへ大象登場。このセッションもすごかった。何で全然別の音楽が突然合体してお互いを高めあうのであろうか。私にはわからない。ただ目の前に事実があるだけである。ここにはホッピーの手を抜かぬ礼儀作法が強く貫かれていた。

次の古崎隆彦の津軽三味線もすごかった。フュージョンサックスは、民謡か演歌みたいなものを奏でているが、明らかに浄瑠璃の経験があると感じさせる何かがある。だが、津軽三味線のあたかも螺旋階段を繰返すようなヒタヒタという音は充分に自分を語ってなかなか次の奏者が付け込みにくい何か礼然としたものがあり、しかし、「打楽器奏者」が究極、発せざるを得ないものである、ハッ!との掛け声を待ったかのようにサックスが入るのである。この二人は二人とも美しい。自己の確実なる表現のなかで相手を気遣ってインプロビゼーションする。そしてそこにこそ、「親善の気品」の香が漂ったように思えた。諸君、音楽が分かるとはある意味こういうこともいうのだ。そしてこれを連続して現象させているのは、マエストロ!ミスタ−!ケシャバンその人である。彼の最も愛すべきところはいかなる時にも幼児的に巫山戯まわってみせる能力なのである。Oh,I like him, I love someone very like him.We arehappy before him!

これほどの音楽の上は、何もできない全てはもう終わらんとしている。しかしこのコンサートの構成を考えた者は、一種の超適当な抽象構成画家なのであるが、ここで半ば精力を出し切った求道者に、本日の最終バッターの「キリロラ」が降臨するのである。キリロラといえばコロコロである。彼女は神道ブランド・メッセージを放つ。「二つの鈴は、それぞれ天河と玉置山のものです」。なんちゅうことでしょうか。本日最後が、もしこの日本人ですらこれを拒めばその毒に中ってゲロを吐いて笑い転げるしかないお巫山戯魔女のフグのキモだったとは。

やがて歌い終えた天使たちは、まるでかぐや姫を連れ去った一行のように舞台を去る。

耳に残るのは、Whachoのパーカッションの極地を超えた瞑想感覚の映像である。

今日の最大の白眉はこれだったかも知れない。

一日の暮れの夢のなかでコロッサスがなおも歌う。

かあちゃん、こんなに遊んだら、後はご飯と夢見るだけ。

後はご飯と夢見るだけ。

私は、コロッサスの独奏の中にミレーの晩鐘を聴く。

私は滅多に出かけないが、最近東京ではこういった高レベルなライブがそこら中で行われているのであろうか。

いや、もちろん、そんなことがあるわけはない。

It was a lucky day

For me. Thank you.