ブイネット教育相談事務所


2008-04-04 禅問答的正解直感法

_ 禅問答的正解直感法

「禅問答的正解直感法とは何か」と、尋ねてくる「暗号解」読者がいる。しかし、それは「企業秘密」的に韜晦するべきものであるから、いささか増え過ぎた読者数を減らすことも求めて、「冗談暗号記述」を試みる。

ここに私が注視するのは、日本海側産にはすまないが、道元正法眼蔵的存在認識把握ではなく、臨済的言語認識的活動である。敢えて言えば、ヴィトゲンシュタインはこの範疇に属す。

もし、執筆者の言わんとすることが、つぶさに認識把握された上で、他者による設問解答に答えなければならない事態に遭遇した場合、「最低点法」的には、いかに短くこれに正解答しうるかが課題となる。

東大京大には、受からないと思われるのに軽く合格する「部外者」がいる。私は彼らが、国語記述で、「禅問答的正解記述」に成功したものたちであると見る。橋本治は、おそらくその「代表者」である。

断っておくが、これは特定の一者に対して記述されているものではない。複数の読者に伝達せんとして書かれるものである。

読んでいる文章の記者の言わんとすることが隅々まで見通せて、それがおおよそ自己思想範疇内であることが認識された場合、後はそれを「了解」したことが伝達できる最低限の文章で「正解」になる。これは、日能研記述模試同様、採点者が「無能」である時不可能であるが(日能研は、「日能研記述模試で『不正解』になっても、一般私立入試では正解になる可能性が高い」と言うレトリックを使用している)、これは、「禅問答的正解記述」を意識的に捨象した戦術である。日能研は、和田同様、確実に暗記した方が「勝利」に近いと主張しているのである。

もし東大入試の国語記述で、55字相当のところで、20字以内で解答できる場合、そのものは、当然早稲田選択肢や慶應小論文でも「勝利」するから、いかに総長小宮山が低人物だとしても、東大としてはこれから取らざるを得ない「人材」であることになる。

優れた比喩を含意して、筆者を打ち負かす自我行為は、あらゆる国語試験に圧倒的勝利を収める。何となれば、そんな者はこれまでごく少数の世界の者であったからだ。禅的独自判断は否定不可能な事柄なのである。採点官が凍りつく瞬間である。

しかし、今、東大を捨象しても、地方国立やSFCの選択があり得る世の中になった。最早、「東大」は大学院で入れば「充分」の大学である。「内部生は無能の山」とは当然の声である。そして、世の中は、「永久雇用」を捨象するのが「常識」である。

「勝つ者」は優れたコミュニケーション能力を備えた者だ。そして、与えられた事柄で確実に上達する者だ。単なる「真面目」の価値は、「バブル崩壊」で消え失せた。あるのは、「未来型覚醒認識」である。それが何なのかは、同じく「営業上」ここには記さない。ブログでそのことを知ろうとする段階で、その人は「規則」に背いている。

歌舞伎で「型」が決まる。

政治で、「詭弁」が通る。

知識人が、セルバンテスやバルザックを読む。

哲学者ベルグソンが「笑い」を書く。

そしてそれを、林達夫が訳す。

浅田彰が芸術大学長になる。

なんて明瞭なこと。

「冗談」で国語入試に勝つのがこれからのトレンドだ。