2008-04-08 鬱病回復
_ 鬱病回復
4月8日、4:30に近地点(361079km)通過。強い雨が、ここ屋根裏部屋をザーザーと襲って気持ちがよい。
相変わらず苦しい精神状態が続いていたが、今日、「実はこれは働き過ぎから来る一種の鬱病ではないのか?」というダイアローグが生まれ、「どうもそれは正しい可能性が高い」という答えが返った。
22歳の時、大旅行で何もかも吹き飛ばしたはずなのに、10代の自殺願望がフラッシュバックしたことがある。
その時に、「ああこれは、行動しないことを容認するために、考えごとの世界に逃げ込んでいるのだな」と認識すると、その瞬間に立ち直ることができた。
以来、鬱病は完全に自己コントロール下になった。
広告業界等では、約半数が働き過ぎで「鬱病」だという報告がある。
考えごとをし過ぎるからこそ鬱病になると断を下していたのに、別の原因があるのがどうも腑に落ちなかった。
しかし、今はそれも理解できる。
私は、昨年以降、充分な休みがない状態で、「これに耐えれば三月以降に10日間の休暇が取れて、久しぶりで大好きな一人旅に出ることができる」と念じて、かろうじてこれを乗り切ったが、家人が全くそれを理解してくれないという「甘え」によって、精神不調に陥ってしまったらしい。体重も減って、ズボンがゆるゆるである。情けないことである。
だが、
―自分は働き過ぎで、脳が疲れて鬱病になりかかっているのではないか?
と、強くダイアローグすると、まるで乾いた植物が水を吸収して行くがごとくに、頭の中の体液がこれまでと逆方向に流れ始めるのを実感することができた。
まずかったのは、「家族に理解されたい」という「甘え」であった。
その甘えを意識的に捨てると、新しい原野が広がった。
私はその前に立つ一人の人間である。
―確かに疲れてはいるが、私にできることは前向きにやっていくことだけだ。
疲れも精神不良も関係ない。
そんなものは気のせいである。
私はやりたいようにやる。
やらねばならぬことはたくさんある。
執筆も、講演も、指導も、教育相談も。
人は、ヒマな時だけではなく疲れ過ぎの時にも考え過ぎになる。
そしてそのことに無自覚であると、「鬱病」になる。
_ ―私の小屋は良く葺かれ、風も入らず心地良い。
天よ、思うままに雨を降らせよ。
_ スブーティーの言である。