2008-04-12 ウズラパウンド
_ ウズラパウンド
新学期になっても相変わらず身辺慌ただしい。
ウズラハウスは超難航。
休みの日に雨が降るのが痛いが、「天よ、思いのままに雨を降らせよ」と言った手前、それを憂えるわけにはいかない。
「部分と全体集合」、私はその考察に長ける者であるが、このことは、抽象アートに親しんだことにより「加速」された。
全てのことを「現象学的還元」すると、「アジア的真実」が見えてくる。
アジアは、上から読んでも下から読んでもアジア的に正しい。
そもそも「西洋」とは、「東洋」の対立概念に過ぎない。
アジアは「人種の坩堝」をも「包含」する。
私は「哲学結果冗談人」で、宗教と政治を「アウトサイドするもの」であるが、「拘泥」をよんどころにする人たちには「得体の知れぬ存在」であるに相違ない。
「価値」とは自己決定するものである。
この「哲学的命題」に、自ら挑むことのないものは、「プヨプヨした存在」になる。
「存在」とは、「自己決定」である。
教育相談の仕事以外にも、執筆、加筆校正、講演レジュメ、コンテンツ作り、企画原案、メール解答、ビジネス決定判断、会談‥etcとあるから、ほとんどの私用電話に応じられない。しかも、暇さえあればウズラハウス。とりあえず晴天本日、7時間かけてだいたいの骨組み構築終了。後は網を張ってウズラとどぜうを買ってくるだけ。おっと、蝶番で戸も付けなければ。
それにしても、手先が器用の逆の自分には(技術家庭、中3二学期のみ4)、ものを作る作業がこんなに愉しいとは信じられないこと。あっという間に時間が経って日が暮れる。
ダライ•ラマ14世は聡明なる現代的「聖者」であるが、ただ「暴力はいけない」では「暴力」に会い続けている「現場」には理解しがたいことだろう。「なぜ暴力がいけないのか」を語らなければ、中国政府には「田舎のお人好し」と目されることだろう。ただ、全人代政権が、資本主義的に行き詰まりつつある米国既定政権同様、「民主化」的に「崩壊」するのも当然の方向性であろう。中国では、歴史的に、時代の変わり目には、官僚の蓄財的汚職が蔓延する。
長年、中国の真似をして来た我が国でも同様である。
国民リテラシーを低下させる方向性。
これを、「保守」という。
ついに、文科省汚職が大きく明るみに出たが、これが、道路交通省同様、「支配」の一般結果の「氷山の一角」であることを、冷静に認識する視点が欲しい。
「支配」とは、集めた金の分配権と人事権のことである。
私は、低給に甘んじる下層労働者を気の毒に思うが、彼らはそれに気づくだけのリテラシーを、すでに奪われてしまっている。
メディアは、「スポンサー」の味方である。
私はクライアントの味方である。
クライアントたちは、「ダマされるのはまっぴらだ」と感じている。
18日より山陰講演絡み旅行。
5月10日に、自然育児友の会主催で、午前が基調講演、午後がカタカムナ音読会。場所は代々木の旧オリンピックセンター、興味のある方はネットで問い合わせて欲しい。フラットに本音を語る予定である。