2009-03-05 世紀末的学校崩壊
_ 世紀末的学級崩壊
以前にも書いたが、公立中の表面に現れない「学校崩壊」が新たな局面を見せて拡大している。杉並区のある中学校では、入試が終わっても学校に来るものが減り、来たとしても遅刻するものが多くなってしまっている。
授業には3学期以降ならない。お茶濁しの合唱大会や球技大会をやろうにも肝心の生徒が出て来ないのであるから如何ともしがたい。歯向かう生徒が多くて授業にならないのではない。そんなのは2学期までのことであった。3学期は生徒が出て来なさすぎるのである。
これは、無能な教師が生徒を管理するために内申点縛りをやり過ぎた反動である。彼らはもう教師の顔を見たくないのである。そして能力を完全に見透かされて「内申」の印籠をも失った教師たちは、アタマとコトバで少年たちに勝てない。
そもそも心の底からその人間性と指導能力を軽蔑し切っている少年たちにとって、内申点怖さのためにそれなりに言うことも聞いて、それなりに提出物も出したりした自分がやるせないことが大きいらしい。教師たちは懲りずに繰り返す。
「推薦を取り消しますよ」
「卒業させません」
アタマが悪過ぎると思うが、これしか思いつかないのである。
高校受験成功者たちは真二つに別れる。表面上あくまで隷従し、内申点をとり切ってあわよくば推薦も勝ち取ることもある優秀女子と少数の男子。こういうのは、公務員や真面目なサラリーマン家庭の子どもに多い。学校内申を全く捨てて、教師の言うことには全く耳を貸さないが三科学習に力を入れて進学塾通いに徹したもの。どうして塾の教師の言うことなら聞くのかは学校教師には謎である。いや、彼らは、そういうことを空想したり想定したりする能力に劣るからこそ子どもに舐められるのである。
これらの中間で、教師に逆らうが、進学塾には通わなかった連中がヒドい目にあった。これらは資金の不足層や、高収入ではない共稼ぎ世帯、あるいは片親といった余裕のない家庭を部分に大きく含む。彼らはサピやワセアカや東進に通えない。そんなカネも気力もない。だから、彼らが頼るべきは学校教師だけだったということになる。しかし、彼らはしょっぱなから裏切られた。彼らが劣るのは小学校での学習未熟部分なのであるが、最初からそれらがないことは相手にされないことを意味していた。ご存知小学校でも、ほぼ授業になっていないところも少なくないから、小学校六年間の過程が滞りなく学習されている子は、当然余裕があって塾か、しっかりとして時間もある家庭教育でこれを補っている。6年間で一度も疑わしい教師に当たらないなぞとは、今の世「幸運」としか言いようがないのが実情であろう。
まあ「不真面目」の結果なのであるから致し方がないとも思われようが、ではどうして不真面目になってしまったかに目を向ける人は意外と少ない。
「まともな教師は十人中一人しかいない」というのは10年前と変わらない声である。
この学校の悲劇は、たまたま3年担任にヒドい教師が集まってしまったことだった。
受験で散々な目にあった友達の不幸を嘆く15歳少年は叫ぶ。
―いったい誰がこんな人たちを教師に採用したんだ!
基礎学力を補充した上で高校受験に役立つような指導ができない。教師だけが悪いのではないだろうが、すでに崩壊した「システム」の中で、それを客観化することすらできない学校関係者は罪の意識を感じないのであろうか。
私は即刻、三科については、大学院生を時給2000円で雇って授業をやらせるべきだと思う。