ブイネット教育相談事務所


2009-03-18 「地方公立高躍進 首都圏私立男子校の低迷」

_ 「地方公立高躍進 首都圏私立男子校の低迷」

私が間近で観察することがもっとも多い職業人は、当然のごとく教師と編集者である。教師にもっとも必要な能力は、コミュニケーションの力(「人間性」と言っても良い)と人間観察力の伴った知性である。編集者(と言っても一般向け書籍の)にもっとも必要な能力は、情報収集能力とそれを伝達する文章の伝わり方の段階的把捉力ということになるだろう。

前回夕刊フジの記事批判をしたが、この基になる情報は編集者からのファックスによるものだった。この人物は何のコメントをもつけずに、ファックスのみを送って来る。それで前回ブログを書いた。すると今度は、AERAの3月23日号のコピーをファックスで送って来た。

「開成凋落 日比谷の落胆」とある。

要約すると、首都圏の名門男子私立校の多くが東大合格者数を減じ、都立高も伸び悩み、かわって地方の共学公立校、特に愛知と大分と北海道などで合格者数が大きく伸びているということになる。東大の「グローバル化」である。

教育コンサルタントからすると、これは首都圏の塾の教育が弱くなっていることを意味する。なぜかと言うと、実は首都圏では、所属する学校が学力をつけるのではなく、利用する進学機関がそれを行っているのが実態であるからである。また愛知は、一言で済ませば河合塾の地元のお里柄ということができる。愛知には物事をきちっと完遂することへ価値共有性がある。大分については、失礼ながら、雪国同様、これまで本格的な発展の遅かった地域の咆哮と捉えることができよう。もちろん日教組組織率は関係ない。

私は問題を見ていないが、生徒たちの声では英語が易しくなったとのことだ。英語で差がつかなくなるとすると、勝負はどこで決まるのだろう?数学か、国語か、文系だと社会か。数学は和田式パターン暗記学習では通じない奇問を出せば、実は全体的には差がつかない。すると勝負は、国語と社会でついたことになる。つまり、今年の東大受験に失敗したものは、自分で考えて答える記述問題に弱かった者たちということができるかもしれない。ひょっとして理科も同様か。塾に通い過ぎると自ら文章力を磨くヒマがないのかもしれない。

よほど苦しいらしい。東大は本格的に地方優秀者を集めて未来官僚をつくる方向に変換したかに見える。このことは何を意味するか。早慶にとられる学生もいる。そしてこの先東大はどういう戦術を持つべきか。

私にはどうしたら良いか分るが、文科省が菓子折り持って笑顔で近づいて来なければ教えないことにする。

以上全て「冗談」で係の者が「代筆」した。

どうも知らず知らずのうちに編集者に書くことをコントロールされているようで薄気味悪い。