ブイネット教育相談事務所


2009-03-13 海と波と空と雲と

_ 海と波と空と雲と

昨朝インドネシアより帰国した。

なぜかどうしても一人旅は許されないらしいので、一計を案じた。

進学が決まった娘を旅に誘ったのである。

これはあっさりと許された。

昨秋、それまで熱心に受験勉強に励んでいた娘が突然宣言した。

「どう考えても私には日本の大学で学びたいものがない。私が興味あるのは舞台芸術のマネージメントしかないから、それが学べる短大に進んで渡米するからよろしくね。私は御飯が食べられる芸術を目指す。」

この言葉にあきれかえったパートナー(最近「天敵」改め)に私は言った。

「キミは、ピアノ教師をし、マリンバを習い、合唱に参加し、場合によっては指揮者も務め、文学を愛し、暇さえあれば子どもを美術館に連れて行った。キミのような生活をするものこそを『芸術家』と呼ぶのではないだろうか。僕にはそのヒマはないが、若い頃から小説を書き、文学芸術を愛して止まないのはご存知の通りだ。幼時より、ピアノ、フルート、仕舞、茶道を学び、美術にも優れ、文章も良く書き、高校3年間ミュージカルの監督を務めた彼女が芸術を選択するのは半ば『自業自得』と言えるのではないか。」

教育コンサルタントの娘が、早稲田にも慶應にも魅力を感じないという。読者にはご理解願いたいが、私はこのことをここに書くべきかずいぶん迷ったのである。

今回の旅行に関しては、彼女が全ての手続きを行った。旅行会社との電話でのやり取りをみていると、「なるほど、この子はマネージメントに優れるわい」と感ぜざるを得なかった。何から何まで娘に任せて海岸で寝ていると、その間一人で街を歩き回る彼女が次々と予定を入れてくる。おかげで、ケチャ、レゴンダンス、バロンダンスなどを充分に堪能できた。おまけに生まれて初めてエステにも連れて行かれたが、私は異常にくすぐったがり屋なので何が良いのか全く分らなかった。

浜辺では多くの現地人と知り合いになった。作家肌の私は、どこへ行っても情報収集してしまう。そしてホテルで働くもの、外で働くものの考えていることをつぶさに知った。とは言うものの、私は彼らから何も買うことがなかった。ビールぐらい買うが、銀細工、タトゥー、サーフボード、マッサージ、果ては、麻薬から女の斡旋まで声をかけて来るが、浜風と波の音以外に私が欲しいものは何もない。しかし、声をかけて来たものとは皆知り合いになってしまう。

青い海と波、空を行く白い雲を眺めていると、次々と新たな構想が湧いてくる。自分には書くべきことが果てしなくあることが感じられて気持ちがよい。

浜辺で30年間銀細工を売り続けるという男に尋ねた。

「ホテルの中で働くのと、こうして浜で物売りをするのとどちらが良いと思うか?」

「毎日人に言われるままに働くのは辛い。そして、たとえ貧しくても、ここにはマイフレンドがいる。私はこの生活を愛している。」

ここには組織社会を選ばなかった私の思想の原型がある。彼らにとっても家族を養うのは大変とのことであるが、敢えてスローライフを選んだ(選ばざるを得なかった)彼らに、不思議な共感を覚えた。そして、多くのインドネシア人が、私のことを非常に変わった日本人だと捉えたようだ。

最終日に、私の衣服やサンダルと帽子を与え、残ったウイスキーで乾杯した。

夕日の中でシルエットになった人々は皆高貴に見えた。

韓国紀行同様、このまま紀行文の連載をしようかと思ったが、以前にも批判を受けたのでここらで筆を置く。明日からまたびっしりと教育相談の仕事と執筆に戻る。