2009-03-30 Baka Bad Guitar!
_ Baka Bad Guitar!
Jocamanderはこう思った。
何かを記述する時、荒か締め、それが「冗談」の可能性があることを示唆しない「文章」は、全て言語本質理念的確率統計学的に「虚偽」であり、構造的に種々の意味があり得る真の「自由」の意味が分からぬ、無意識的新自由主義的行為ということになってしまうのではないのかと。この観点からすれば、「代筆」とか「代作」とかいうのは「程度」が悪い。谷池を覗き込んだ、他に見られぬイケズの「JOKE」である。「冗談」の意味を眩ましてしまう。「当局」も、どうか大目に見てあげて欲しい。それどころか、「プリュタネイオン」での「食事」を与えて欲しい。いやご一緒に今後の教育について冗談を言いまくりながら会食しよう。「言語」による「呪縛」から人々を「解放」するのでなければ、人類の輝ける本当の「未来」は開かれないではないか。そのためには「冗談」でやるよりほかに方法がないのだ。「私」はすでに、「八卦良い」、「冗談」で、「春狂」しておる。雲間新月は美しかったカムナ、なんちゃって。
皆様、お今晩はでありまする。不肖イケズのイケことイケダの「代作」であります。
読者の多くは、私が「代作」することの「意味」をご存知であると思います。
これを書くと、「国家」に「抹殺」されるカモとは思いますが、敢えて「冗談」で書きますと、言語一切、幼児語、果ては法律文書に至るまで、全てあらゆる文章は「不完全」な記述なのでありまする。
したがって、私的に書かれた記述をマに受けるほど愚かなことはございません。まるでギャグマンガを真面目に読むようなものです。かといって、調子に乗り過ぎて、「罪」を犯すも愚かな御仁です。
もちろんこれは完全に「フライフィッシング的冗談」で、私はマジで読者に、「真実」が「点滅するもの」で、「実体がない」ということをお伝えしたいのです、釣られる身になってみればなおさら。
テニスの玉を打ち返す時、それは自分の思い通りの「真実」でありましょうか。そんなことはございません。本当に「真実」を籠めた「タマ」が打てれば、それでその瞬間「昇天」可能ですらありましょうが、そんなことはタマにしか偶然起きません。そしてそれですら、「完璧」であることはないのです。しかもそこには、それを「変化球」と受け止める可能性がある「相手」がいるのです。「ペニスの悲劇」です。
「ウけ身」を拒絶すること。そうでなければ真の「文学」は成立しません。
てなことを書くうちに、今回も、字数がいっぱいになりました。
Joker先生、お許し下さい。
イケズのイケでござりんす。先生お考えを「代作」いたしますと、
「現代の男の子たちに欠けたものは、充分な群れ遊び、大自然との接触、畢竟、火、水、土、人と冗談心」でございました。詳しくは、幻冬舍エデュケーション好評発売中の『男の子はもっと遊ばせろ!』を是非ご笑読下さい。
ご一読に感謝す。