2009-03-06 ノーサイド
_ ノーサイド
以前から「正体不明」の外見からか、なぜか大学教師に間違えられることが非常に多い。私は普段、ほとんどの大学教師を、ジャーナリスト同様、ややバカにしているので、これは実は不本意なことなのであるが。
最近やや足が遠のいているが、例によって西荻焼き鳥屋のカウンター。隣席右側の体格の良い私と同年輩の見知らぬ中年男が話しかけて来る。
―大学の先生とお見受け致します。自分は元東海大学ラグビー部のキャプテンを務め、その後も後輩の指導に当たっているものであります。
いきなり何かと思うが、左隣の知人と話していた話題を耳にして、どうしても話しかけたくなったらしい。
「複合的変化球」。
―おう、ノーサイドのラグビーね。私ももしもう一度男に生まれたら是非ラグビーをやりたいねえ。それにしても敵と味方の間の線が完全になくなるノーサイドって言うのはいい言葉だねえ。ところで私は、大学の教師ではないよ。
―自分は大学の職員です。あなたは大学の先生にしか見えないですよ。オッホン。ところで今のお言葉ですが、でしたら先ず覚えておいていただきたいことがあります。第一に、ラグビーは「痛い!」と言ってはならないスポーツだと言うことです。痛いことは忘れてするスポーツであるということです。
―そりゃそうでしょう。秩父宮ではゴツンという音が聞こえますもの。
―それでその秩父宮ラグビー場です。惜しくも力及ばずノーサイドの笛が鳴った後、選手はどうすると思います?
―どうするって、泥んこだから先ずシャワーでしょう。
―さすがです!秩父宮には風呂があるのです。でも湯船は一つしかない。そして、勝った方のチームが湯船につかります。やつらがはしゃぐのを横目に、負けた私らは、「バッキャロー、次は絶対に勝ってやるからな」と思いながら、顔をコシコシ、躯をさっと洗うと、できるだけ早く風呂場から出るのです。
―なるほどねー、ノーサイドなんて言葉だけだって言うわけですか?
―その通りです。そんなのは勝った側の言葉です。負けた側は悔しくて悔しくて脳細胞が煮えくり返っているのです。ラグビーは勝った負けたしかなく、しかも痛いというのはなしの男だけのスポーツです。
この人は私のことを知らないらしく、「どうかお名前を」と言うので、たまたま持っていた『公立校で伸びる子どもはここが違う!』をくれてやった。
また過日。同じ店の別のカウンターで、私より5〜6歳年配の恰幅の良い顔見知りの男が、この日は機嫌が悪いらしく、「人の話をまともに聴けない」と、その向こうに座るバンソコメガネ男に珍しくカラんでいる。「私は理路整然とシャコのツメについて語りたかっただけのに」とか言っている。そしてこちらを振り向くと、「ねえ先生、この人には人の話を聞く力がないのです。すぐに下らない茶々を入れて人の話の腰を折るんですよ。」
―それは私も得意技だ。何か嫌なことでもあったんですか?
―あったんです。先生はオチンチン力の先生ですよね。オチンチン力の先生のオチンチンはどうなっているのですか?
真面目な席でも平気で冗談を言うのだから、こんな時私は98%まともに返さない。「変化球」しか投げない。信じて欲しい。「冗談」ではない。相手は宝焼酎である。
―オチンチンですか。私はもう枯れました。とっくに終了です。
表情を変えずに前を向いたまま、ブッキラボーに吐き捨てるようにそう答えると、男は、いきなり両手で私の右手を、まるで恋人に愛を告白するかのように力強く握りしめて、しかも鼻の穴を息荒く丸く、鼻毛が数えられるほど大きくおっぴろげて、私を見つめて胸の底から絞り出すように言うのである。目には悲哀と歓喜の入り混じったような涙が浮かんでいた。
―そうなんですかー。私もなんですよー。そうですか、そうですか、先生もそうなんですかー。
高校時代に友人と吉祥寺のハモニカ横町で飲んでいたら、隣のオヤジが軍歌を歌うので、一緒になって同期の桜を歌っていると、突然、「キミたちはいつか?」と尋ねるので、気の利いた友人が、「最後です!」と答えると、「おお、そうか!」と言って、涙して抱きつかれて飲み代がタダになったことがあったが、それを思い出した。
*明日より一週間、このブログをお休みさせていただく。