ブイネット教育相談事務所


2009-03-20 トッカーッタ!

_ トッカーッタ!

読者の皆様初めまして。

実は私が、松永暢史先生から、「冗談」で、「Joker」のペンネームをいただきまして、ここに記述を許されている(命じられている)当ブログ執筆代行担当責任者のタニであります。

もとより、センセイ最近メッチャお忙しいので、代って係の私が執筆したものを転送掲載するようになったことを、「変化球」とゴマカしまして「正直」にやっていたことは、読者も薄々お気づきになっていたかもしれないと存じますが、これは、私が考えたことではなく、松永先生が「冗談」でおっしゃられるのですが、誰が書いているのか確定できないブログ記述で、冗談で書いたものをタイホするのは、死刑同様、明らかに立て前上民主主義的権力的「冗談」が過ぎる自己矛盾だと認識しております。憲法の言論の自由の原則に反しないのでしょうか。

センセイは、「冗談文学」執筆歴四半世紀。私から拝察しますと、いくら「冗談」で書いても世間のお認めを全く得られない大変不遇なお方です。

センセイは、教育について、デユーティーフリーメイソン一万円札の福沢諭吉センセイの足下にも及ばないことは、当然ビジネスでも東京ディズニーランドにはとてもかなわないのごとく、良くご自覚遊ばされて、「バットを置き忘れるのは、情事未だということだ」と常時口にせられています。

以下「代筆」します。

              *

_ 私は最近、「儒教教育」を行っている。これは、『論語』を音読解説して意見を訊くというものだが、『学而』冒頭を音読して、

「先生について学び、その復習をするのは気持ちが良い。

遠方から尋ねて来る友人がある。嬉しいことこの上ない。

人が分ってくれなくても何とも思わない。自分はさらなる向上を目指す至らぬものだと謙虚に自覚しているのであるから。」

と解説し、

「これは僕たちが住んでいる東アジア地域全体に2000年以上も影響を与え続けている伝統的宗教観で、イスラム圏に住むイスラム教徒が、キリスト教圏で生活するキリスト教徒が、たまたまその地域や文化のもとに生まれたから自分たちがそのような考え方を基本にしていることを自覚できないのと同様、それを我々の多くも客観化できないことも多いと思われる。キミは今読んだ事柄をどう思うか。」

生徒たちの多くは、否定できないことだと捉え、自分にはなかなかできないことだともいう。

そして初めて「儒教」というものを知る。このことが分らなければ、日本語で書かれた本を楽に読めるようにはならないと私は思う。歴史のこともチンプンカンプンに違いない。そして実は、儒教的教育に反対して一番ヒドい目を見ているのが学校の教師たちなのである。

しかし、その儒教教育を実際行うには、社会の上層部がある程度の品性(=仁)を身につけていることが前提であるのは、言うまでもないことだろう。そして、そんなことが期待できない世の中であることももはや明らかなことだろう。だから、教えるべきはその思想の内容に他ならない。中国共産党ですら、文化革命の後、「儒教には良い部分があり、その部分を伝えて行くべきだ」と、見解を変換した。

私は全ての宗教は、思い上がらずに周囲の者のために役立つ人材を目指せ、と言うところにその共通点があると思う。そして、「冗談」はその象徴的役割だと信じることにする。

以上もちろん、当然のごとく、「冗談」の「代筆」で書いた。