2005-12-06
_ 「我思うゆえに我あり」か、それとも「我思うゆえに我ならぬ何者かが他に存在する」か。
私は、「我思うに、光りあり」だと思うのであるが・・・・。
エネルギーの現実的象徴としての光、これが感知されない者は、同一円周上を「遡行」し続ける。彼らの確認したいことは自らが回ってはいるということにすぎない。ここでは、自己愛のフェティシズムがナンセ ンスであることが追体験できない。
境地は、「時間外」のものであり、全ては自らの「認識」と「偶然」によって決定される。
そしてその「認識」は、「過去」の規定を免れない。
茫漠たる荒野。
境界線の果ての雲海。
地平線の彼方の光沢。
人は、常に「空」という実在の認識に失敗し、
現実下のリアリティーを喪失する。
人一切一人。一人一切一人。
価値判断と自己の存在確認は同等である。
境地近辺を蚕食することは容易い。
しかし優れた「羽化」を伴わないものは、究極「無明」である。
自らの意思に基づく「鋭意」の連続。
それができるものは幸いである。
各人奮闘努力せよ。
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