2005-12-23 受験勉強と表現活動
_ 午前零時。
今日は12時間連続で指導した。疲れながらもなんとか最後まで走り切った自分に納得するが、最早毎日連続してやることは不可能だ。
でも書かなければならないことは沢山ある。というよりも、多くの人が表現活動しないゆえに精神バランスを崩しているのを目の当たりにして、私も働き過ぎた日にはかえってこれをするべきだと、魂を奮い起こす。脳裏には宮沢賢治の姿が浮かんで来る。
ブログが日記と違うところは、それが他者が目を通すことを前提とした表現活動であるところである。表現する時、人は完全な「個人」になることができる。「個人」を喪失した時、人は自己の所在を見失う。つまり、精神バランスを崩す。
記憶力の可否が決定的な分かれ目になる試験制度。
しかし、小学1年以来その暗記力の発育をもたらす具体的な授業は一度として行われない。
レトリック読み取りの能力が決定的な分かれ目になる試験。
しかし、本質的な読み書きの力を増進する教育は全く行われない。
ここには着想力と表現力への観点が限りなくない。
人間の能力を極小化している。
これについて無反省なものたちは、これからの教育の場にあることはできない。
ゆとりも総合学習も何も変えることはできなかった。
学歴勝者の集まりの中教審も試験制度に対する言及をすることはできなかった。
私には受験産業がゲラゲラ笑う姿が目に浮かぶ。
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