ブイネット教育相談事務所


2006-07-03 陰山英男氏立命館に奉職

_ 陰山英男氏立命館に奉職

百マス計算などで有名な陰山英男氏のインタビューが日経夕刊に連載されていた。彼の教師としての履歴には、私の経験とやや重なるところもあり、興味深い。

まず、彼は教育学部出身者ではない。大学は法学部で、哲学書を愛読した。私はかねてから言っているが、国語能力の高いものは法学部と哲学科に多い。ただ知識を覚えることが主体の国文科と違って、法学や哲学の世界は、暗記より理解することが主体であるからだ。しかも自分で本を読んで考えることがほとんどである。ちなみに私は哲学科の出身である。

彼はそもそも教師になるつもりはなかった。私も同じである。私は作家を志してバイト生活をした。彼はアナウンサーを志したが試験に落ちて、短期間の暗記学習で教員採用試験に合格した。そもそもの集中力も知的能力も高いのだろう。そして、この体験が、「徹底的に繰り返して覚えれば脳が自然と記憶してくれると知り、この体験が後年読み書き計算の実践を支える精神的な支柱になった。」と語る。

教師の仕事は最初のうちは失敗の繰り返しで、都市部の学校での教育に失敗して、過疎地の学校で百マス計算を利用して効果を出した。私は百マス計算は、都会の学校では通じないと主張して来た。彼は、「単純計算の繰り返しで脳が変わった」と書く。さすがに単純計算学習の主唱者だけあって、なかなか認識も単純である。

私は、単純計算の繰り返しで脳が変わったのではないと思う。彼以前の教師たちが、基礎計算を確実にしかも速く計算する練習をすることで暗算力を高め、後々の算数学習の土台を作ることをないがしろにしていたのだと考える。音読学習も同様、先取り漢字学習も同様である。つまり、私と同様、世間の教師が見落としていたことを、教育学部的な指導方法を学んでいなかったために実践できたのである。都会の、特に東京の教師たちは、この基礎的な学習を家庭と塾にゆだねている。

今彼は立命館大の教育学部の教授に招かれ、立命館の小中高の教育の方向性を導くことも任された。さすが試験のうまい立命館である。立命館は柔軟だと思う。教育学出身の大学教授たちがよく許したものだと思う。というよりも、一般もそろそろ気がついている通り、実は大学の教育学部はもはや完全に行き詰まっているのではないのか。私も今春から大学で文章構成について教えるようになったが、一発でほとんどの生徒が文章が書けるようになり、その後の進歩も驚くほど著しい。もし彼らがこの力を小学校でつけていれば彼らはこの大学に来ることはなかったはずだ。他の教育についてもそうである。私には、彼らが日本の教育の「犠牲者」に見えてしまう。

陰山氏を雇うのが私立の大学であって、国立の大学ではないことを誠に不思議に思う。でも実体はやはりそうなのである。

誠に僭越ながら、陰山氏を遥かに上回る教育メソッドを開発して来たと自負する私は、「いろいろなことに手を出す謎の人間」と捉えられて敬遠されるのが一般である。いつも先へ行過ぎるために、一般の理解を得づらいが、どうせやがてはみんなが始めることと確信して、体力の続く限り後に続く有志たちに伝達して行こうと思う。