2006-07-15 気候と能力向上
_ 気候と能力向上
出版物の売れ行きが好調に伸びているせいか、ここのところ、当ブログのアクセス数が多くなって来ている。それにともなって、かねて筆者が願って来たコメント数も増大し、結果的に、このブログを読んでいる人が、意外にも、愚直で不真面目で不謹慎な筆者を遥か上回って知性的な人が多いことが伝わって来る。
海抜1600mの高原牧場から降りて来ると、灼熱の東京があった。
しかし、私はこの夏決心しているのである。我が国の気候に文句を言うまいと。
我が国の気候が変化に富んだ世界に類い稀なるものである認識はすでに何度も表明した。ゆえに私は、気候に文句をつける癖をやめようと気張っているのである。この世界に類い稀なる気候をオモロいと捉えることによって、その変化をストレスの解消に使おうと思っているのである。
西荻焼き鳥カウンター。編集者到着を待つも、「校了いまだならず」と連絡が入る。隣の御仁は、「今日の暑さは戸外労働の身には本当にきつかった」と語って、ビールを飲み干す。この人は誠実でいい顔をしている。忍耐に忍耐を重ねた顔をしている。同年輩だと思う。家の近くに、作家の志茂田景樹氏がいることを嬉しそうに語る。
教育者に最も大切な能力、それを私は、「観察力」と述べて来た。しかし、その観察力とは、生徒に適宜にエネルギーを注入するために必要な能力であった。教育にもっとも大切なこと。それはエネルギーの注入である。自分の体力や、その日の家族との時間を、「仕方がない」と割り切って鋭意努力しないと、有能なサラリーマンが労働するのと同様の仕事はできない。毎日くたくたになるからこそ労働は尊い。何となれば、その渦中で自己向上があるからである。神経的にもかなり参る。しかしそれを克服しなければ、胸を張れる仕事はできない。
あらゆる学習の目的は、単なる知識獲得やそれに基づく偏差値上昇ではない。そうではなくて頭そのものが良くなってしまうことである。能力が向上し続ける習慣をつけさせることこそが教育の目的である。そしてそれは川島教授らが語るように単純なことではない。
変化すること、この脳が最も求めることを自ら与えて行こうとする決意と実行が大切である。それには好奇心の中心点に自己の能力の変化向上を掲げることを常に意識していることが欠かせない。日本の気候は絶えず変化する気候である。能力向上にぴったりではないか。これを利用しない手はない。