2006-07-21 現状学校教育実情<連載3>
_ 現状学校教育実情<連載3>
純粋な好奇心―サヌキ。
伸びやかな感受性ーアワ。
この2つが教育上最も大切なテーマであることは明らかである。
伸ばすべきものは、自己の純粋な好奇心に基づいた成長とその自覚である。
「感受」すると同時に、発信しようとする「対向発生」の気づきである。
創性をともなう心情には、先行して好奇心が欠かせない。
知性の源は好奇心である。
アソビ心とフザケ心である。
感性に伴う好奇心には、心情が欠かせない。
感受性の源は、快感認識である。
思わず「オモロイもの」と思わず「ココロヨイもの」。
「どうしても素通りできないもの」(『FOUR WINDOWS』)。
これが「進化」の原点であろう。「コワイもの」は二の次である。つまり、「アドレナリン認識」は、「ドーパミン的認識」の部分集合に過ぎないのである。
天空の星と雲と月と太陽。
地上の波と「波動」の感受。
両者の共通点は、「変化すること」である。
この変化の観察がないものは、常に論理理性的な因果の解明の呪縛に落ちる。
予測不能なもの、それに欠かせないものが、「直観」であることは言うまでもない。
つまり、「予測し得ないもの」を感受するのが「知性」の本質なのだ。
「知性」とは「勃起」している。なぜなら、「快感」を求めるから。
「感性」は、「自己湿潤」する。なぜなら、「快感」の可能性が高まるから。
このような「真理」を子どもが知るはずがない。
この「真理」は、16歳以上まで感性と創性を持続できたものにのみ体得される。
これを「抽象化」すると、「知性、感性に先行して、快感を示唆するものがある」ということになろう。我々は左右脳以外にそれに先行する脳で快感を感じることができるのだ。
エクスタシー(=極めてまれに見る、同一時間的に乃至は結果的に必然としか言いようのない偶然的「遭遇」)の法悦)を感受できないものたちは、絶えず「左脳」に支配され続けるものたちである。美味しいものに「分別」はいらない。
「エクスタシー」とは、偶然とは思えない、必然的遭遇の快感追体験である。心の奥底で強く求め続けたからこそ、そもそも「それ」がそこにあったことを追体験する。エクスタシーは重力を感受しない次元の快感認識である。
「オーガスム」は、世間的欲得の観点で「価値判断」できるが、これに対して、あたかも重力場を超越する体験を垣間みさせるエクスタシーは、生命エネルギーそのものの認識印象として残る。ここには快感に対する価値判断がない。存在したことへの感謝の念があるのみである。
エクスタシーは、知識では得られない。体験しなければ分らない。
「無分別無重力境遇」。
この体験にはいかなる意外なこともあり得るという充分な試行体験がなければ、よほどの幸運がない限り、簡単には到達できない。
私は宗教家めいたことを言おうとするのではない。快感には、「種類」があると言いたいのだ。「オーガスム」なら商取引可能だが、「エクスタシー」だと、「縁」が生ずるため、「無条件愛=存在愛」が必要になって、これは逆転的にそれを感じることが尊い人類愛に転化するのだ。さよう、習慣的「不倫」は、最も常識的に優れて人間的に「倫理的」になり得ない。つまりエクスタシーの共有は、他者存在感謝の共有のもとの認識となる。
ここでいささか不謹慎ながら面白いのは、エクスタシーは性の営みにおいて最も得易いということだ。三島の『沈める滝』や中の『銀の匙』ではないが、エクスタシーは、「一期一会」の体験的「暗示」である。
そんなことも、あたかも気のせいである。
エクスタシーに好奇心を持ったものは、「千載一遇」を座右の銘にするべきである。エクスタシーには「予想」がない(「予感」はある)、来るべくして来てしまうのがそれである。そのためには、自分以上に存在を賞賛したい人間を見つけることである。この人物は、この共同体に参加している以上、捜せば最低1人は、「論理的」にあり得る。
特定の対象に至る恋愛なんてつまらない。恋愛に筋書きを書いて何がオモロいか。
畢竟、我々の「脳」は、偶然の「出逢い」を望んでいるのである。
「必然」では、「予測可能」なので、エクスタシーには至らないのである。
お天気や、気候や、経済の動向が、「予測可能」と思うものは、「キチガイ」である。彼らは「UFOを見た」と主張するものと同様、「気のせい」と「実際」の区別の認識がない。
しかし、‘WAVE’は多様である。「WAVE」は複数のWAVEの総体である。
「WAVE」を言い換えると、「法則」すなわち「道(タオ)」であろう。「タオ」の本質は、その玄妙さにある。つまりあたかも必然のごとく偶然に作用するものが「タオ」である。
いかに「万物の霊長」であろうが、必然的法則には「偶然」的に支配される。テポドンも金正日も、邪馬台国女王卑弥呼も、「日」の運行に支配される。もし、金正日が「助平」ではないことが立証されれば、筆者は、一生性の営みではなく性の妄想を断ち切っても良い。
「マスターベーション」と認識されたとき、全ての男の行為は、無意味なことになってしまう。「夢精」を語る小泉は、森的に「幼稚」である。福田は禁欲的オナニストなので、阿部が踊るが、テポドン同様、踊るだけでしかとした未来哲学はない。阿部は目的地を想定しない船頭2号である。
21世紀の展望は、力をつけつつある、中国、インドとの外交関係にあり、アメリカとはヨーロッパと同様の「距離感」が必要になろう。さらに西アジアまで。もしもアジアが一体化すると、お互い資源に不足することは絶対にない。するべきことはアジア安定政策である。必然的に、ユーロ同様、「通貨」の問題になる。ここまで来て初めて、なぜ米英仏が対北朝鮮制裁に前向きに賛成なのか知れるのである。もちろん彼らはシリア、イラン、イスラエル情勢も見据えている。私はオセアニア諸国との外交が重要ではないかと思うが・・・。ともあれ、アジアは「美味しい」のである。以上全て「冗談」で書いた。