2009-07-31 教育悲酒
_ 教育悲酒
自分をはるか及ばぬものと戒めれば戒めるほど、逆にうぬぼれぬように注意することはそれとは「矛盾」したことをしていることになってしまう。ここにこういう文章を垂れ流すことが「うぬぼれ」の一端であるのかもしれない。それとも、やはり、どんなことでも終わりが来るのが必然ということなのであろうか。まるで誰もの子供時代がいつしか過ぎて行くように。
大人になればなるほど自分がバカだということがよく分かって来る。いつまでも進歩しないままで来たことが数え切れないほどあるのが分る。そしてそれを忘れるためにルバイヤートー酒を飲む。そしてそれを繰り返して来た自分にまたしても己の進歩のなさを噛み締めるときも来る。人生の本質を知って、自分の過去生の生き方を肯定的に受け止めることができる人は幸福な人だろう。
いや、そんなことはどうでも良い。己の過去のことなんていまさら知ったこっちゃない。現にこうしてバカのままなんだからしょうがないではないか。―辛うじて息してるので充分なのが人間なのよ、そんな囁き声も聴こえて来る。そしてーそんなことは受け入れ難い、と思うことはまたしても新たなる「うぬぼれ」の始まりなのかもしれない。
民主党マニフェストの教育の項を読んだ。全体的に貧者が機会均等権を得る方向性の政策案で一見好ましいが、その必要予算は6兆円だという。それに対して即座にやるべき教育の現場改革については「充実を図る」とか「環境をつくる」などの述部の、具体的実効性に乏しい文章が並んでいる。ちなみにこの項のご予算は6兆円の100分の1の600億円である。この文章を民主党内のどこがつくったのかは想像に難くないが、どういうわけかこの項の見出しだけ、他の見出しの中で唯一抽象的な「全ての人に質の高い教育を提供する」である。バカヤロー!麻生に代ってオレが言ってやるわい。そんなことができるなら苦労はないわい。だいいち、その、「質の高い教育」ってのはいったいどこに見本があるって言うんでさ。でも関係ないんですよね。どうせ予算の100分の1なんですから。教育改革する気がないんですから。カネを配るのが政策なのか。カネを有効に使ってみせるのが政策なのか。良く考えて欲しいものだ。
まっともあれ、民主党政権になっても教育現場の本質的な改革はないことがはっきりしてしまった。現場の学校は混乱をさらに深め、「学級崩壊」から「学校崩壊」を飛び越えて、「教育崩壊」に陥ろうとしているのに。暢気なもんだね、フリースクールはどこも満杯よ。
かといって自民党ではもちろんできない。
だから総選挙の有る無しに関わらず教育の現状は改革されない。
民主党政権では日本教職員組合が支持母体の輿石東氏が文科省大臣に就任するというもっぱらの噂だ。たとえそうではなくとも、民主党の文科政策は日教組寄りだということになる。
日教組には良い先生もたくさんいるが、そうではない人もたくさんいる。日教組は、教師の労働組合であるから、待遇改善=「賃上げ」もしくは「労働の軽減」をその本線的な活動に置くのは当然である。だから、民主党が政権を取ると教師はもっと働かなくなる可能性が高い。尤も日教組の構成員ではないがそれを利用してできるだけ仕事にエネルギーを使わずにスまそうとする人たちの方がもっとヒドいのは当然だが。
つまり、前もって税金を払っているのにこの教育はないという批判に備えて教育負担を限りなく無償化しようと提案していることになる。タダなら文句はないだろうと。
だとすれば、それはアソーと同じ、バラまき的発想に他ならない。
この時点で自民党と同レベルであるとすると、非有権者である子どもたちの、「こんなにもつまらなくて、しかも意味のない学校をすぐに何とかして!」という断末魔の叫び声は全く無視され、やがて民主党政権下での教育行政の本格的な危機=「子どもの暴動」を招くことになるだろう。私はマニフェストに12歳以上に選挙権を与えることを提案したいくらいだ。
私はこれを恐れない政治家の無明さに本当に本当に驚く。
世は「いじめ」や「学級崩壊」の状態を通り越して、「不登校」が当たり前の時代に入っているのである。しかもその中心的理由は、「学校で教えていることは無意味で興味がわかない。教えている人に人間的な魅力を感じられない」なのである。ネットやゲームの中毒を生んでいるのは、まさに学校がつまらないからなのであることに自覚的でない。
バラまきを発想する連中は、自分が金持ちである連中に決まっている。貧乏人はひたすら節約に努める。その結果がインフレと増税ではやり切れない。
ここでも、麻生と鳩山の正体見たり、と言いたい気持ちになるのは私だけだろうか。彼らには教育についての未来ヴィジョンがない。
自民党が国民をバカにして来たことが明らかになったから民主党に入れようとすると、民主党も政権を取るためには国民をバカにしなければならないと思っていることが分ってしまう。「マスメディアと国民のレベル」と細田幹事長すればこれを批判しようが、やはり「支持母体」に怯えて、教育の本質報道をしないで済ませようとする「メディア」も、予想もしないことであったであろうが、新しいものにとって代られる宿命にあることを忘れてはならない。
するべきことは教師に能力給制度を導入することではないのか。それと‥…、あっまた酒のせいでついうぬぼれをこきそうになっちまったんで、それは直接聞いて来た政党にだけ教えることにして、ここは教育改革がなくなったことのどうしようもない悲しさを忘れる酒にしよう。本当に情けなくってやっていられない。