2005-07-04 太宰治「富岳百景」
_ 生徒に頼まれて、太宰治の『富岳百景』をレクチュアした。
テキストとして用いる教科書は、驚くべきことに、あちらこちら中略の嵐である。
しかも、ここを削るのは「フェア−でない」と感じられるところが削除されている。
どうしてこんなことになるのか?
かつて、生徒の教科書に横光利一の小説が載っていたことがある。それは、横光が短時間に書き上げたつまらない作品であり、他にも良い作品があるのになぜと、思われたので、編集者に聞いてみた。
「それは、先ず編集会議で、横光を取り上げることが決まり、その上で、編集上都合が良い長さのものを選ぶからなのです」とのこと。
冗談じゃあない。生徒を馬鹿にするにもほどがある。
しかしこれが教科書会社の実態である。
国語の教科書に載る文章は、・国文科で実習教材に掲げられているもの、・編集者の知り合いや恩師のもの、・出版社として自社の本が売れるきっかけになるもの、・有名な作家のもので枚数の都合がつくもの、のいずれかである。つまり、学習者に最適のものではなく、教師が指導しやすいものと編集者の利益に叶うものが選ばれているのである。
初めて太宰を読むものに、『富岳百景』は最適であろうか。『走れメロス』同様誤解を与えると思う。私は、『桜桃』や『トテカンカン』の方がよっぽどマシであると思う。つまらない分別で、無難なものを選ぶ文科省編集者魂。貴兄らにはその仕事で生きて行く資格がない。国語教育にたずさわる「センス」がない。
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