2005-07-08 義務教育費国庫負担問題
_ 中教審の義務教育特別部会で国庫負担金廃止の是非を巡り委員の意見対立が続いているため、中間報告素案では、存続・廃止の両論を並記する玉虫案になる意向である。
国庫負担金は、公立小中学校教員の給与の半分を支出している。有識者で構成される存続賛成の多数派は、「教職員確保の最も確実な財源保証制度」としているが、負担金廃止意見の地方代表者は、「国庫負担金は、将来の削減対象になるに決まっており、負担金を廃止し、税源移譲と地方交付税で教職員の人件費をまかなえば、教育現場が当事者意識を持つようになる」と主張している。もちろん文科省は、予算縮小に繋がる廃止案に強く抵抗していると思われる。
この問題は、一般読者には読み辛いと思われるが、どう思われるだろうか。税金の使い方を地方毎に任せ、教育の現場を活性化し、地方における教育を自由化することは許すべきことであろうか反対するべきことであろうか。
地方代表者の主張を良く見ると、彼等の言うのは、今のままでは教育の現場を税を払っている国民が当事者としての強い意識を持つことができず、結果的に教師の質の向上のための競争ができないということらしい。
教育政策や教育学者の多くのアタマが古いために、役立つ教員の養成や意味のある教育内容の検討は絶えず後手に回って来た。その結果、子供達は柔軟性を欠くカリキュラムの中で実際性も内容の深さもお座なりなテキストを使用されて尊敬できない教師に指導され、内申点で縛られ、人生の初期に出来不出来を決定されて健全な成長を阻害されて来た。そこに文科省の権力志向と利権が絡んだ体制は最早末期的な段階にある。こうした「知識人」たちの能力が危ういことは、高学歴者や大学院生たちが判断力や倫理観をしっかり持たないという社会問題として現象している。そして、現場で苦しんでいるのは子供達である。最近では理解不能な事件も多発している。我々はこれらを子どもから大人へのシグナルとして受けとめなければならないはずだ。
税源を委譲しようが委譲しまいがどちらでも構わない。子供達に良い教師と良いテキストと良い教育システムを提案することこそが、中教審の役割だったと思いたい。しかし、彼等は眠ったままである。彼等は、政府与党に月百万円の手当てで雇われた人たちで、中央集権が弱まる施策を認めるわけがないことは予め分かり切っている。なぜかと言えばそこには利権が絡むからである。ここで驚くのはまたしても新聞である。新聞には誰が反対して誰が賛成しているかの具体的な記述は一つも出て来ない。どういう役職のどういう人が賛成をし反対をしているのかを明らかにし、今後彼等がどのような役職につくことになるのかを追跡調査することこそが新聞の役目だと私は思う。
皆さん、有識者や地域の代表者や知性あるはずのマスコミ人として、現場の子供達の声をもっと真剣に掬い上げて下さらぬか。大人として子供達に恥ずかしいと感じないのは理解し難いと思うのは私だけであろうか。