ブイネット教育相談事務所


2005-07-06 なぜ教師になるのか?

_ 時代のニーズの高さに比して、学校教師の能力の低さはどうしようもなく低い。公立校の生徒たちは、「20人に一人しか尊敬できる先生がいない」と口を揃える。あまりに教師たちが気の毒なので、教育問題について語るときには敢えてこの件には触れようとしない風潮ができている。曰く、「フツーの社会人に、フツ−以上のことを求めることは誤っている」と。これは中教審の委員である人の言葉であるが、これではことは解決に向かわない。

なぜ教師たちは教師を仕事に選んだのか。

そこにはいくつかの理由があるだろう。

ざっと、挙げてみると、

_ ・ 楽な割に安定した仕事に思われたから

・ 社会的な地位があると思われるから

・ 他の仕事にはつけなかったから

・ 子どもの前でなら威厳を保てると思ったから

・ 子どもが好きだから

_ こんなところであろう。もちろん、・将来社会を託す子供達を導くのは大切でやりがいのある仕事だから、という本質的な動機もあるだろう。

しかし、実際は、現代社会における教師の仕事は、非常に優れた能力と人間性を同時に必要とする、しかも社会的地位が低い、割に合わない賃金の職業なのである。

我々は、教師に充分納得の行く賃金を保証し、同時に厳しい能力を求めなければならない。つまり能力のある人を増やし、能力のない人には止めてもらう仕組みを作らなければならない。

これはとても難しいことだ。公務員の首を切ることはできないし、給料を能力に応じたものにすることもできない。だいたいからすでに、能力のないものに仕事を与える社会福祉が教育の現場である。

解決方法はただ一つ。教育の民営化である。教育を民営化するとなると、文科省は限りなく権限を縮小し、教育委員会もなくし、教科書会社も改編しなければならない大事になる。

そんなことはできないから、税金でやれる妥当な線を考えると現状に戻ってしまうことになる。

子供達の苦しみは深刻である。能力もない、人間性も足りない人たちに日々忠誠を尽すように求められるのである。大人でも金をもらえなければ我慢できる事態ではない。

教育者には、知性と観察力と人間性と芸術的な表現能力が同時に求められる。しかし、そのような能力があるものは、まず教師にはならない。他のもっと高給の仕事につくことが充分可能である。

以上のことから、教育の現状を憂えることは間違っていることが推論される。

したがって、子供達の苦しみは永遠に続くことになる。子供達の訳の分からない凶悪事件も決して止むことはないだろう。

親たちにできることは、このことの認識によって、自らの価値観と責任によって自分の子どもを教育することである。

でもね、もし仮に、塾や進学期間に支払うお金を、学校経営に回したらどうなるのであろうか。

私は多くの問題が解決されると見る。しかしそれは実行不能であった。