2005-07-10 あらゆる学習の本質
_ アタマが良くなることが目的ではなくて、自己の社会的地位の向上を目指す前提とした時、あらゆる学問は無意味化する。これは、孔子・ソクラテス以来の「常識」である。
社会の99、9%の人は「衆生」であり、周囲を見据えることを未来を見据えることに優先する。
他者より優れることはどうでも良い。生命体たる自己が納得する方向性を選択すること。それなくしては「学問」の意味はない。同時に、人生の「幸福」もない。
アタマが良くなることとは、現実に相対して「覚醒」することである。
このことが了解されぬ限り、いかに社会的地位が得られても、学問の意味は限りなくなく無意味化する。
自己の存在価値を追求する実戦を選ぶ時、あらゆるものは「聖者」と化す。
だが、「悪魔」が囁く。
「他者に勝らなければ、意味がないではないか」と。
この謂いに埋没するものは、終わることなき因果論的輪廻に埋没し、「覚醒」を得ることはない。
多くの衆生に埋没することなく、自己の存在の本質覚醒を目指すものは、V-netに名乗りを挙げよ。
自己の本質から発する好奇心と追体験、このことを見失う時、全てのものは「傍観者」と化す。
[ツッコミを入れる]