ブイネット教育相談事務所


2005-07-13 教育の問題の認識

_ なぜかは知らぬが、この日曜日の朝刊は、各紙が教育問題にシフトして来た。

日経では、一面で「どうする義務教育」として、社会面に関連インタビューで、元文相有馬朗人氏と文科庁文化部長の寺脇研氏へ、総合学習やゆとり教育に関する「責任」を問うたりしている。

朝日では、「保護者の無理難題に悩む先生」と特集を組み、いつものように玉虫色的な掲載を試みている。

月刊誌「世界」では、巻頭の「読者談話室」で、学校教育の劣化は、家庭や地域の文化水準が落ちたためで教師の責任ではないとする教師の投書を掲げた。

私は、新聞記事は読者を想定した「やらせ」として読む。雑誌も同じである。教育についての欄の一番の読者は、教育関係者であり、その人たちを読者として引き付けることを前提にした書き方がなされるのは当然のことであろう。学校も経営、新聞も経営。そんなことは当たり前であるという認識はすでに多くの人がものにしている。敢えて日曜日にそれをすることがその証拠である。

マスコミは、その大切な読者の一翼を担う教職者の決定的な悪口は書かない。また文科省政策がもう完全に無意味化していることも書かない。おまけに広告を載せてくれる教科書会社系の悪口は絶対に書かない。結果的に、現場で無意味な教育に苦しむ子供達の立ち場を意図的に無視した印象を与える言説を取る。

こういうことを書くと、「右翼」が喜んで私に近づいて来るが、私は片寄ったイデオロギーを否定するものである。あらゆる思想には良いところと悪いところが共存している。イスラムもキリスト教も創価学会も日本共産党もそうだ。そして、こと教育に関する限り、私は、右翼以上に「愛国者」である。私たちの国の未来を担う子供達に一刻も早く最大限の教育援助を行うこと、それこそが大人としての私たちの役割であるということを一歩も譲る気持はない。子供達のことよりも自分達の立ち場を前提にするものは皆教育の敵である。

文科省も教育組合もどちらも「保守」である。マスコミも「保守」である。こうしてまたズルズルと月日が流れて行く。詮方ない思いをするのは私だけであろうか。私は、子どもたちが、大人のやっていることを受け入れない実情を受け入れない姿勢大人たちが吐露するをこそ痛烈に批判する。全ての子供達には、平等かつ健全に成長をする機会を与えられる権利がある。良い機会と教育さえ与えられれば、ほとんどの子が前向きに成長するという私の確信は、私個人の経験からのみ来るものであろうか。