2005-07-22 「佐藤学インタビュー」
_ 雑誌「世界」が、7月号の巻頭の読者寄稿欄冒頭に、小生も評価した5月号の佐藤学の論説に共感したと言う高校の教師の、「教育現場の問題を教師だけに負わされるのは堪え難い」というニュワンスの文章を掲げるのは、これも新聞同様、読者の大きな比重を占める教師たちへの配慮なのかと思われて悶絶する。
日経で3日間だけ特集したー「どうする義務教育」ーで、東大教育学部長の佐藤学は、記者インタビューに答えて、明瞭に「学力低下の主因は教師の質の低下である」と述べている。彼の現在の仕事は東大内に作る教師養成大学院の構築である。
佐藤は、極めて「政治的」である。左翼の味方を視野に入れつつ次の展開のためには当然のように前言ニュワンスを撤回する。調査数値を見た後は、見えていたかのような発言を絶えず可能にする、この人は見えているのかレトリックが巧いかのいずれかである。この知能が高い人は今でも上からの教育改革が可能だと思っている人なのであろうか。
教師を我々と時代のニーズに合わせたものにすること。実はこれは即座に実行されることでなければならない。我々は、教師の生活より子孫の発展を優先する。するとそこに、能力の良し悪しを問わなければならないわけには行くまいという問題が提示される。これは然るべきである。しかし、もし能力を持った人材が不足している状況が浮き彫りになった時点で、その補填を何をもって行うのかというのはなかなかキモな質問である。多くの人がこの価値の多様化した困難な時代において次世代への教育的な価値観を持つことができない状況において、「何が正しい」は、はっきり提示されねばならない。それが日の丸君が代教育勅語儒教教育であるのだとしたら、はっきり言ってその人たちはとんでもない時代錯誤の迷妄な人たちであって、親しむべき古いお考え方の素朴善人ともいえるほどである。
国家の衰退は上に立つものの考えが甘かったからに違いない。多くの国民が、自分の立っている大地全体よりも、自分だけの富を優先する。国民全体、ただ金さえあれば好いという思いに浸り切っている。こんな考えの大人たちを見て育つ子供達は、大人のやっていることにしらけて元気が出なくなる。すると今度は、「学力低下」と大声をあげて来る。しかし、何も解決されない。忌わしい試験制度、やる気のない教師、古い考えを押し付けて自己確認をしようとする大人。現場が変わらないことに無頓着なのは、彼等が別のことを考えている証拠である。
私は現代を大きな激動の最中と見る。ここでは明らかに古い価値が捨てられて新しい価値が構築されようとしている。意見ボケているようで実際すごくクールな文化、そう言えるようなものが始まっている気がしてならない。