2006-01-13 北杜夫『高校生活』
_ 日経最終頁文化面の『私の履歴書』の、作家北杜夫氏の文章を楽しんで読んでいる。
戦中戦後期、麻布中学から旧制松本高校に学んだ氏は、旧制高校生になろうと努めたことを記述する。
「つまり学校の勉強はせず、自分を向上させるための読書に励んだ。」
自己向上のためではなく、学校の勉強のために本を読むものはバカにされるのである。
目から鱗とはこのことであろうか。これまで分かりかけていて何故か確信が持てないことが完全に了解された思いである。
私が必要以上の受験勉強に反対して、これを解決する学習法を考案して来たのはこのためだった。
暗記準備に時間がかかりすぎるセンター試験に大反対して来たのもこのためだった。
高校学習の予復習に時間がかかり過ぎない様に指導して来たのもこのためだった。
できるだけ通学に時間がかからない学校を勧めるのもこのためだった(通学中に読書する子も稀にはいたが、たいていはウォークマンでコミックスであった)。
私は生徒たちに自由時間を確保させたかった。十代ならではの経験をする時間を与えたかった。
ところが、この結果はスポーツ少年少女の山であった。彼らの顔は一様に浅黒く、身はスリムで引き締まっている。
分かるような気がする。都市環境で育った子供たちが思いっきり軀を動かしたいと感じるのはまさに動物的本能である。
しかし、彼らに欠けていたのは読書である。
読書するべき時間をメディア情報吸収の時間にとられてしまうのである。
諸君、私大文学部三年遅れ卒業の今の私を支えるのは若き日の読書と思索である。
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