2006-01-19 宮崎勤死刑判決
_ 89年に連続少女誘拐事件が起き、宮崎勤被告が逮捕されたとき、私は二つの大きな理由からこの事件に大きな関心を持った。
その理由は、すでに教育カウンセラーとしての活動を始めていた私には、事件が「典型的なもの」として了解されたことであり、また同時に長女が90年に生まれて、幼女を持つ親として身につまされたからである。
そもそも私は、文学活動をする経済的支えとして、家庭教師・教育相談を生業をしているものであり、その私からすれば事件はかなり分かりやすいものであったのだ。私は、宮崎勤の家庭環境を分析して、そこに、教育上の大きな問題要素が、類い稀なほど折り重なっていることを確認した。
_ 1 ワンマン経営者の家
2 長時間のテレビモニター接触
3 理不尽に長い通学時間
4 古い形の父権家庭と夫婦の会話の不在
5 学歴を第一とする狭い価値観
6 落ちこぼれた場合のケアの不足
7 テレビをよく見る老人との同居
8 長男乃至は家庭内唯一の男子
10 女性とのコミュニケーションの不在
11 有効な自己表現手段の欠如
_ 数え上げると、通常2つ以上重なると「問題がある」と判断できる要素が30以上重なるという稀なケースであることが判明した。このことはそれ以降の残虐犯罪においても確認され続けた。
私は、佐木隆三氏が『宮崎勤裁判』で、「宮崎勤よ、キミはいったい何者なのだ」と叫ぶのを読んで、これに答えられるのは自分しかいないと思い、開発したばかりの抽象構成法を用いて小説化した。私はこの作品によって小説家デビューできると信じて疑わなかったが、発表は叶わなかった。
今にして思えば、その後の同類の事件を目にするたびに、あのときの私の作品が読まれていればと残念に思うが、あのときは無名、今も専門の学者ではないから無視されて当然といえば当然であった。
しかし、この事件の分析と考察結果は、その後の私の教育相談における大きな柱となった。私は忌まわしい少年犯罪事件が起こる度に、「ああまたか」と感ぜざるを得なかった。
この事件で死刑に処されるべきは、彼の父親であったが、父親は自ら奥多摩の橋の上から多摩川に飛び込んで他界した。私は、この男も最後までその理由を解明できなかったであろうと思った。
その後、おおよそ10年を経て2000年に、吉岡忍氏の『M 世界の、憂鬱な先端』が出て、私はその綿密な取材と分析に驚かされたが、そこには私の考察したいくつかの要素が欠落していた。分かるわけがない。このことが分かるのは、私の様に個々のご家庭とお子さんと長期間連続的に接する経験がある者のみであろう。
最高裁判決は当然死刑であるが、もし人を2人以上殺した場合がそれに該当するという一般的判例からすれば、実は彼の罪は無期懲役以下なのである。
彼は狂人である。しかし、私の考察によれば、彼が完全に狂人になったのは、一人目の少女を殺した瞬間である。したがって、それ以降は、精神異常者の犯行なのである。
この事件は、世の精神鑑定・分析が無能に近いことも明らかにした。専門家は、新しい事例に対処できなかった。そしてその結果が、その後の犯罪の発生を許して来たと、私は確信する。つまり、いたいけな少女たちの死は、世間に恐怖を植え付けたこと以外に活かされることがなかったのである。
今からでも遅くないと思う。我々の社会は、宮崎を生存させその心理を調べ続け、狂気と犯行の理由を明らかにするために役立てるべきだと思う。もしそれが、あの事件の直後に明らかにされていれば、その後の凶悪事件の多くが発生しなかったはずだと私は考えるのである。
私の小説中では、犠牲となった少女たちは、そのことを明らかにするために派遣され、自ら犠牲となって警告した「天使」として扱われた。