ブイネット教育相談事務所


2006-01-14 受験と読書

_ 私の国語指導法の要は実は読書指導である。私の机の脇には常に数十冊の本があって、生徒との話題上、「今だ!」と思える瞬間にこれを投げつける。生徒のほとんどがこれを読む。ハマるものもいる。しかし悲しいことに、そこから自分で本屋に足を運んで本を選ぶ習慣に結びつかない。仕方がないので本屋に引っ張って行って、文庫本を選んで買ってや

る。プラトン、ロシェフコー、中村元・・・・数えきれない。何百冊買ったか分からない。特に岩波からは感謝状をもらいたいくらいだ。ついでに、「あのな、図書券くれってせがまれて喜ばない親や老人はいないぜ。ただしマンガじゃなくって本が買いたいと言うんだぜ。」と言ってやる。

私見であるが、各種推薦入試で大学が見るのは読書の分量と記述力である。両者とも前者が前提になることは明らかだ。そしてまた、実際の入試でも、特に文系においては、全ての教科の学習でしっかりした読書力を前提にできるものは確実に勝利をつかむ。事実東大文3の学生はそもそもの読書好きが多い。そして大人になった時、この若き日の読書に感謝しないものはまずいないことだろう。若き日の読書ほどアタマを鍛えるものはない。逆に、読書しないものは歳を経るほどに必ず後悔の念に襲われるのだ。

この読書の時間を奪うのが現代の受験勉強である。

これは間違いなく、学生運動にショックを受けた当局が、反政府的発想を持ちうる知識人にできるだけ最高学歴を与えない様にと目論んだ当時の行政トップの究極の政策であった。読書を禁ずること。そうすれば、批判的思考を持つ知識人を減らすことができる。少なくとも国立大学からはできるだけ排除することができる。この政策を提言した官僚は、まさに「悪魔」であり、「売国奴」であろう。国の文化的未来を全く顧慮できない者たちである。

高校時代、受験参考書しか読まなかった者、果たしてこの人たちが一流大学へ進学するのは意味があることなのだろうか。批判的思考が培われないということは、本質的な倫理観がないということであり、そういった者が国家のトップに多くなれば、当然国は崩壊へ向かう。この象徴が、官民癒着と「天下り」なのであろう。官僚、政治家、マスコミ関係者、堀江、村上、もちろん一概にはいえないが、最近の東大出身者で活躍する者は、悪人の方が多いのではなかろうか。