2006-05-06 物語指導
_ 物語指導
_ 作文の授業は楽しい。特にこちらが予想もしなかったことを物語るために文章を書こうとする子供の手伝いは実に楽しい。
なぜ一見自分勝手な男の子にクラス中がついていくのか。
ませていて体が大きくて口が達者だからと思って話を進めていくと、実はこの男の子が次々に新しい遊びを提案する子で、クラスのみんながこれに遅れをとらないように注意するからだというまるで猿山集団のような事実が判明する。
彼が「やろう」と言えば周囲が行い、彼が「やめた」と言うと、その周囲もやめるが、さらにその外周部は彼がいったん始めた遊びをし続ける。
これは古典的なガキ大将の姿である。しかしまた、この少年の家庭生活を語らせると、強い兄がいて、母親は家出していることが分かると言った、まるで文学のような世界が広がる。
これを第三者的な視点で一人称を用いずに、自分を登場人物の一部として埋没化させ、物語化しようとする営為は、このしゃべり好きな少年の未だ至らない知性を確実に育成させる作業になる。そしてまさに、「作家」の強さはここにある。
同一集団内において、「作家」ほどヤバい存在はない。彼は、主人公のガキ大将を客観化する立場に身を置くことによって、誰よりもその集団を把握している存在となる。権力を握るガキ大将ですら一目置く存在。実際彼は、「作家」であることを知られずに、すでにそれを手中に収める。そしてこのことを知るものは、彼と私のこの世でたった二人の存在である。
書けることは、いかなる権力をも上回る。
書けることは、個人の自由を保障する。
ゆえに作家は,権力を求めない。
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