2006-05-23 ・・・っていうのは一種の冗談でしたというシリーズ1
_ ・・・っていうのは一種の冗談でしたというシリーズ1
_ 南無妙法蓮華経のサッダルマプンダリーカ(正しい教えの百蓮)にも『方便品』が、バイブルにも「初めに言葉ありき」とあるから、表題を開始することにする。もちろん前回書いたことは一種の冗談でした。それもその前のブログに基づいた。
最近このブログを飛ばし読みをして重要ではない内容を抽象構成して私の人格を勝手に決定する人がおられるようなので、ここに正直に冗談な告白をさせていただく。
最近右翼と思われる人に、「自分は右翼ではないが、貴兄はウヨクだ」と言われると、自分がウヨクなような気がして、左翼的と思われる人物に、「キミはアナキスト的体質だね」と言われるとそんなような気もし、中道左寄りの人に、「あなたみたいな人を典型的な保守主義者というのですよ」と言われるとそんな気もし、インチキ教育評論家に、「あなたは確信論的現代教育破壊主義者だ」と言われるとそんな気もし、「何という無教養!」と言われるとその通りだとも思い、キリスト教者に、「あなたは大切なことが分っていない」と言われると、その通りだと思い、現実的に生きることこそが現実的だと信じてやまないエリート銀行マンに、「わけが分からない存在」と受け取られて、ほとんど自分が何者か分らなくなるが、ほとんどの人が私より気候の変化や月の満ち欠けにふだん興味がないことに驚愕する自分がある。
天ハ人ノ上に人ヲ作ラズト言へリ。この「テン」が、頭の上の空のことを言うのであれば、空について語れぬものたちは、人以前の存在だということになろう。もちろんそれが「ハゲ」のことを意味するのであればそれはそれで格別であるが。
以前に山尾三省の訳でラマナ・マハリシの本を読んだ時に、「自分とは何か?=What am I?」の問いかけを断続的に行ったことがあった。それはグルジェフの「自意識的苦痛」を公案にしていた時と同時期だったかもしれない。2週間目に「回答」を得た。その答えは、きわめて即時的に、まるでフェンスに当たったボールのように跳ね返った。「そう尋ねるところのオマエである」というのである。
長くなるのでこの「冗談」はこれくらいにするが、自分の環境と自分の境遇に自覚的でないことは、一種愚かなことではないのか。