2006-05-12 教科書検定は無意味
_ 教科書検定は無意味
建設行政がチェックしきれなかったために問題が肥大化したしたのが「姉歯」事件。そしてこれとそっくりなのが、中学教科書誤記脱字問題。
新聞の目立たないところに、文科省の緊急調査で、中学校教科書の65点に計208カ所の誤記脱字があることが分ったとの記事が載った。
なにが、「緊急調査」だよ。いかにも文科省が急いで対処したかの印象をどうして新聞が与えてやる必要があるのか。新聞社にも文科省の天下り先があるのか知らん。「大慌てで調査」と書かんかい。
なんで大慌てかと言うと、これは構造計算問題と同様の構造の問題であるからなのだ。文科省の錦の御旗、「教科書検定」が、つまらないことにうるさいくせに、検定本来の仕事は丸投げしていたということなのだ。次に彼らが言うことは分り切ったことだ。「検定業務の確実なる遂行のために、必要な人員確保の予算を組む。できたら検定請け負い天下り法人を作る。」と来るに決まっている。我々は,これを絶対に許してはならない。なぜなら、検定そのものを廃止することが正しいからである。検定をなくせば誤記の多い教科書は売れなくなる。さらにそれを実際に使う教師たちに自分で選ぶ権限を与えれば、自分で苦情を会社に言えるようになる。そしてやがて、何年読んでも歯ごたえのある良い教科書が出るようになる。あまりに良く読んだために使い終わっても捨てる気になれない教科書。家族が読んでも感心するような本。こういうのを本当の「教科書」というのだ。
それにしても誤記が最多なのが国語教科書というのは笑わせる。彼らの正体見たりと言った思いだ。補助予算が多い役所ほど天下りが多い。これでいくと、検定の誤記が多いところほど天下りが多いはずである。我が国の国語教科書の拙劣さは、こうした癒着によって作られていることにもっと多くの人が気づくべきだと思う。そこには子供をおもう心は不在なのである。