ブイネット教育相談事務所


2006-05-08 国語能力獲得の資質

_ 国語能力獲得の資質

_ やっぱり音読が上手い生徒ほど国語ができるようになるスピードが速い。

音読技術は、多少の耳の差はあっても、努力するもの全てに与えられる能力である。

しかし、困ったことに、いくら言っても私が要求する大きさの声を出さない生徒たちがいる。この子たちは本当はすぐには国語ができるようになりたくはないのだ。塾のテストで点を取ることしかアタマにないのだ。

音読は簡単なのである。大きい声で一音一音切って読みさえすればいいのだ。

音読は誰でもできる。だが、思いのほか奥が深い。

それは日本語の深さを暗示している。

教室で、グルベローヴァの歌うモーツアルトのオペラを聴かせることがある。そのコロラトゥーラの演奏を耳にすれば、誰でも一瞬何事も忘れて耳を見張らずにはいられないと思うが、そうなるのは母親の一部で、それでは残念だから,子供たちに「いいのあるから聴けよ」と大きな音で聴かすと、「スゴい!」と分かる子供が何人か出る。そしてその子供たちは音読が上手い。そもそも音楽的感性に優れるか、音読が上手くなって耳が開いているから分かるかのどちらかであろう。ところが、女の子たちは、たとえ音読がそんなに上手くなくても、たいてい分かるのである。ここには人の声の聞き分けには女性の方が男性より優れること一般であることが現れている。ということは、女の子が国語ができるようになることと、男の子が国語ができるようになることは同じアタマの働きではないことになる。

何もクラシックに限らない。超素晴らしい音楽を理解しないものが勉強できても意味ないのではないかと、直観的に思ってしまう。なぜだろうか。それは、超いいものを理解することの方が、勉強ができるようになることより容易いからであろう。

大きな声で音読するものは、きっと国語力の増強より、そのこと自体における自己の言語能力向上の手応えが楽しいに違いない。私にはそう見える。

言葉そのものへの好奇心。優れた国語能力獲得の資質とは、ただこのことのみであると言えよう。