2006-05-28 片岡義男「雨の日のカフェ」
_ 片岡義男「雨の日のカフェ」
相変わらずの「冗談」でこれを書く。
日曜日経文化面で、「雨の日のカフェにて」という題で、片岡義男氏のエッセイを読む。
この人は植物の芽のような柔らかい文体で、奥行きがあるかのような感触を与える文体を持つ。
話は、ハワイ生まれでハワイ育ちの彼の父親が、若い時に過ごしたカリフォルニア南西部の町ニードルズ(本当は、横文字で記したいのであろうが、この人は敢えてそれをしない)について、それがいかに熱くて乾燥していたかを語ったことを伝う。
その上で、それに連想される、レイニー・デイ・パンケーキという滅多に降らない雨の日にのみに提供されるメニューについて語り続ぎ、そしてそのことを記す理由が、西麻布に移転した出版社の地下に、「レイニー・デイ・ブックストア・アンド・カフェというスペースがあることが紹介されて、今そこにいてこれが書かれていることがタイトルから暗示される。
これは一種の「広告」作品かもしれない。
連想は、雨の日のここでの最適のメニューへの考案に至る。
しかし、これはあくまで「随想」である。それも本質的に「随想」である。そして我々は、「随想」というものの本質が、このようなテキトーな事柄についての「ポエジー」であることを再確認する。とりとめがないと言えばそれまでであるが、そこには、もし時間があれば、つきあっても良い何かがある。
筆者は、村上春樹氏の文章に、どこかふっとさせられるものを感じることを認識しながら、これを「下らない」と分別する性向を持つ。対する片岡義男氏には、「淡いけど真似できない」硬質さを感じて来た。ひょっとしたら音読に適する作家なのかもしれない。村上氏は、音読すると、まるで大江ノーベル先生のように、馬脚が現れてダサイ。片岡氏は、音読すると、日本文学の流れに関係なく、なぜか甘い。
[ツッコミを入れる]