2006-05-19 ある認識
_ ある認識
大学で教えていると今さら当たり前だが少し不思議なことに気づく。それは、大学生が知ったら少し憤るかもしれないが、「中学生」か「高校生」に教えているのと同種の感覚を得ることである。
そもそも小学生とも対等に付き合ってしまう特殊な体質である。若い頃にはこのことのために,年配者から「長幼の序がない」と良く叱られたものだ。逆に外国人とは誰ともすぐに友達どうしになれる。その自分が,相手を「子ども」と当然のように認識してしまうのである。
子供たちに教えていると、自分がいかに馬鹿な子供であったかを思い出す。大学生に教えていると、いかに自分がこの年齢の時にアホだったかを思い出す。しかもアホのくせに粋がってもいたのだからなおさらその恥ずかしさには耐えられない。今も自分をサル同然の裸のアホだと露天風呂サウナに行かなくても強く思うが、私が言いたいのは、「人を年齢であまり区別しなかったはずの自分が、実は当然のように年齢差を認識している」という事実である。
これをハゲ同様、「老化」と認識するべきなのか、それともそれなりの経験が積もった成果と見るべきなのか、どうもよく分からない自分がいる。30歳以上歳の離れたものを「子ども」と認識するべきなのか、「若者」と認識するべきなのか。そういえば最近,30歳くらいで頑張っているものを見ると「若者」と認識する。
「子ども」と「若者」とどこが違うか。私にとって、「子ども」とは可能性の大なるものであるのに、それに自覚的ではないものたちであり、「若者」とは自己の可能性に賭けて鋭意努力して生活するものたちである。
ところで、ここで、彼らから見た場合の自分のことを考え始めようとしたが、それはあまりにつまらないと判断する自分がある。この瞬間何かが分った気がするが、それも書くことはやめる。まあ春は遥か、秋は諦め。愉しむことと収穫量の違いよ。オジさんは秋に向けて全力疾走し続けるのみ。なんちゃって。